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狼の女王 第3巻 ウォーヒン・ジャース 著 筆:第三紀1世紀の賢者モントカイ 第三紀98年 今年も残りあと2週間というとき、皇帝ペラギウス・セプティム二世が逝去した。「北風の祈祷祭」のさなかの星霜の月15日のことで、帝都にとっては悪い兆しだと考えられた。皇帝が統治した17年間は苦難の連続だった。枯渇した財源をうるおそうと、ペラギウスは元老院を解散させ、その地位を買い戻させたのだ。有能だが貧しい評議員を何人か失った。皇帝は復讐に燃える元老院のメンバーによって毒殺されたのだ、多くのものがそう口にした。 亡き父の葬儀と新皇帝の戴冠式に出席するため、皇帝の子供たちが帝都にやってきた。末っ子のマグナス王子は19歳で、アルマレクシアから帰郷した。彼はそこで最高裁判所の審議官を務めていた。21歳になるセフォラス王子はギレインからレッドガードの花嫁、ビアンキ王女を連れて帰ってきた。長男のアンティス王子は43歳になる推定皇位継承者で、父とともに帝都で暮らしていた。最後に現れたのは、「ソリチュードの狼の女王」と呼ばれる一人娘のポテマだった。30歳になるまばゆいばかりの美女で、壮観な従者の一団を連れて、初老のマンティアルコ王と1歳になる息子のユリエルとともにやってきた。 当然のことながら、アンティオカスが皇位を継ぐものと思われていた。狼の女王に何かを期待するものはいなかった。 第三紀99年 「今週になって、毎日夜中近くに、ヴォッケン卿が数人の男をポテマ様の私室に連れ込んでおりました」と、諜報参謀は言った。「ご主人にそれとなく気づかせればおそらく──」 「ポテマは征服の神、レマンとタロスの信奉者だ。愛の女神、ディベラではない。その男たちと乱交に及んでいるのではなく、何かを企んでいるのだろう。誓ってもいいが、妹よりも私のほうが男とベッドをともにした経験が豊富だろう」アンティオカスはげらげらと笑ってから、真剣な顔つきになった。「元老院が戴冠を先延ばしにしている裏では妹が絡んでいるのだろう。まちがいない。もう6週間になる。書類の更新と戴冠式の準備に時間がかかるということらしいが。皇帝はこの私だ! 堅苦しいことは抜きにして、冠をかぶせてくれ!」 「たしかにポテマ様はあなたの友人ではございませんが、要因は他にも考えられますぞ。お父上がいかに元老院を冷遇されたか、お忘れではあるまい。警戒すべきは彼らのほうでしょう。必要とあらば、手荒い説得もやむをえませんな」諜報参謀はそう言うと、意味ありげにダガーを突いてみせた。 「かまわん。が、めざわりな狼の女王にも見張りをつけておけ。私がどこにいるかはわかってるな」 「どちらの遊郭でしょうか?」と、諜報参謀は訊いた。 「今日は金曜ゆえ、『猫とゴブリン』であろう」 ポテマ女王のもとに訪問者はなかったと、諜報参謀はこの夜の報告書に書きこんだ。というのも、ポテマは御苑の向かいにある蒼の宮殿で、実母であるクインティラ女帝と夕食をとっていたからだった。冬にしては暖かい夜で、昼間の嵐が嘘のように空には雲ひとつなかった。地面はたっぷり水を吸い込んでいたため、格式ばった庭園は水を撒いたあとのような光沢を放っていた。二人はワインを片手に広いバルコニーに向かい、地上を見下ろした。 「腹違いの兄さんの戴冠を妨害しようとしてるわね」と、クインティラは視線を合わさずに言った。時の流れは母親にしわを刻んだというよりも、しおれさせてしまっていた。そう、石に描かれた太陽のように。 「そのつもりはないわ」と、ポテマは言った。「でも、そうだと言ったら心が痛む?」 「アンティオカスは私の息子じゃないわ。私があの人と結婚したとき、アンティオカスは11歳だった。それからずっと疎遠なまま。あの子は推定皇位継承者になったせいで成長が止まったのよ。家庭を築いて立派な子供たちがいてもおかしくない年齢なのに、あいかわらず道楽と女遊びにふけってる。立派な皇帝にはなれないわ」クインティラはため息をついて、ポテマのほうを向いた。「けど、不満の種を撒いても家族のためにはならない。派閥に分かれるのは簡単だけど、絆を結びなおすのはとても難しい。帝都の未来が心配だわ」 「そんなことを言うなんて── お母さん、ひょっとしてもう長くないの?」 「凶兆が見えたわ」クインティラははかない、皮肉めいた笑みを浮かべた。「忘れないで、私はカムローンでは高名な妖術師なのよ。私の命はあと数ヶ月。それから一年もしないうちに、あなたの夫も亡くなるわ。心残りがあるとしたら、成長したユリエルがソリチュードの王になるところを見届けられないことね」 「お母さんには見えたのかな──」ポテマは言いよどんだ。自分の計画をぺらぺらと話すべきではなかった。その相手が、死にかけている母親であっても。 「ユリエルが皇帝になれるかどうかって? その答えもわかってるわ。心配しないで。あなたはその答えを見届けられるわ、いずれにしても。ユリエルに贈り物があるわ、大人になったときのために」女帝は大きな黄色の宝石がひとつ埋め込まれたネックレスを首から外した。「魂の宝石よ。雄々しい人狼の霊魂が吹き込まれているの。私とあの人が36年前に戦って倒したのよ。幻惑系の魔法をかけてあるから、着用者は望んだ相手を魅了できるわ。王様にはもってこいのスキルでしょう」 「皇帝にもね」ポテマはネックレスを受け取った。「ありがとう、お母さん」 一時間後、手入れされた一対の植え込みから伸びる黒い枝の脇を通りすぎたとき、ポテマは不穏な影に気づいた。その影は私室へと続く小道に立っていたが、ひさしの落とす闇の中へ消えた。あとをつけられていることには気づいていた。宮中の生活にはこうした危険がつきまとう。が、この影は彼女の私室に近づきすぎていた。ポテマは首のネックレスにそっと指をすべらせた。 「姿を見せなさい」ポテマは命じた。 男が暗がりからすっと出てきた。浅黒い小柄な中年の男で、黒く染めたヤギ皮をまとっていた。視線は凍りついたようにじっと動かない。魔法がきいているのだろう。 「誰に命じられたの?」 「わが主人、アンティオカス王子」と、男は死人のような声で言った。「私は王子のスパイ」 ある計画を思いついた。「王子は書斎にいるの?」 「いいえ」 「鍵は持ってるの?」 「はい、女王様」 ポテマは満面の笑みを浮かべた。この男はもう私のものだわ。「案内してちょうだい」 翌朝、またもや嵐が吹き荒れた。たたきつけるような風雨が壁や天井を打ち鳴らし、アンティオカスを苦しめた。昨晩遅くまで痛飲したのだが、若かりしときのように二日酔い知らずというわけにはいかないらしい。彼はベッドをともにしているアルゴニアの娼婦を激しく揺さぶった。 「たのむから窓を閉めてくれ」と、アンティオカスはうめいた。 窓が閉められるやいなや、扉にノックの音がした。諜報参謀だった。王子に微笑みかけると、一枚の紙を手渡した。 「こいつはなんだ?」と、アンティオカスは横目で見ながら言った。「まだ酔いがまわってるらしい。オークの字みたいに見えるよ」 「きっとお役に立ちましょう。ポテマ嬢がお見えになられていますぞ」 アンティオカスは服を着ようか娼婦を追い出そうか迷ったが、思いなおした。「部屋に通せ。あいつをカチンとこさせてやろう」 ポテマがカチンときたにせよ、表情には出さなかった。オレンジとシルバーのシルクにくるまって、勝ち誇った笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。人間山脈ヴォッケン卿がすぐあとをついてきた。 「こんばんは、兄さん。昨晩、お母さんと話してね、とっても知的なアドバイスをいただいたの。公の場では兄さんと戦うなと言われたのよ。家族と帝都のためを思って。そういうわけで──」そこまで言うと、法衣のふところから一枚の紙を差し出した。「兄さんに選ばせてあげるわ」 「選ぶ?」アンティオカスは笑みを投げ返した。「それはどうもご親切に」 「皇位をみずから放棄してちょうだい。そうすれば元老院にこれを見せる手間がはぶけるわ」ポテマは義兄に手紙を手渡した。「兄さんの印章つきの手紙よ。自分の父親がペラギウス・セプティム二世じゃなくて、宮廷執事のフォンドウクスだってことを兄さんは知っていましたって告白してあるの。さあこれで、この手紙を書いたかどうかを否定するまでもなく、兄さんは噂を否定できなくなるわ。それに、元老院はきっと、あの元皇帝なら奥方を寝取られてもさもありなんと信じるでしょうね。にっくき相手だもの。真実がどうあれ、手紙がいんちきであろうとなかろうと、このスキャンダルで兄さんが皇帝になれるチャンスは吹っ飛ぶわ」 アンティオカスは青ざめた顔で憤っていた。 「心配ないわ、兄さん」ポテマは兄の震える手から手紙をひったくった。「快適な隠遁生活を送れるようにしてあげるから。心が望むだけ、その下半身が望むだけ、娼婦をあてがってあげる」 と、アンティオカスはいきなり笑い出すと、諜報参謀に目配せした。「そういえば、私がこっそり隠していたカジートの春画を見つけ出して、脅迫してきたことがあったな。かれこれ20年も前になるか。おまえも気づいたはずだが、最近は鍵もかなり進歩しててね。自分の力では望んだものが手に入らないとわかって地団駄を踏んだことだろうな」 ポテマはただ笑ってみせた。だからなんだっていうの。もうこっちのものだもの。 「ここにいる私の従者を魅了してまんまと書斎に入り込み、印章を使ったんだな」アンティオカスはにやにや笑った。「呪文を使ったか。魔女の母親に教わって?」 ポテマはひたすら笑みを浮かべていた。義兄は思ったよりも頭が切れるわ。 「魅了の呪文は、どんなに強力なものでも、後に効力が消えることを知っているか? もちろん、知らなかったろう。魔法はおまえの得意とするところじゃなかったからな。ひとつ教えてやろう。長い目で見れば、呪文をかけるより、俸給をふんぱつしたほうが奉公人はより長い間仕えてくれるものさ」今度はアンティオカスが一枚の紙を取り出した。「それでは、おまえに選択肢を与えよう」 「どういうこと?」と、ポテマは言った。笑顔はしおれかけていた。 「意味不明なものにしか見えないが、心当たりがあるならはっきりとわかるだろう。練習用紙だよ。私の筆跡に似せようとしているおまえの筆跡でいっぱいの。いい贈り物をもらったよ。以前にもやったことがあるんじゃないのか、他人の筆跡をまねたことが。そういえば、おまえの旦那の亡くなった奥方が書いたとされる、夫婦の第一子は婚外子と告白した手紙が見つかったそうだな。その手紙もおまえが書いたんじゃないのか。おまえがくれたこの証拠を旦那に見せたら、あの手紙もおまえが書いたものだと信じるかもしれないな。いいかね、狼の女王。今後いっさい、同じような罠をしかけようなんて思いなさんな」 ポテマはかぶりを振った。はらわたが煮えくり返ってしゃべることもできなかった。 「そのいんちきの手紙をよこすんだ。で、ちょっと雨にでも打たれてくるといい。そして、のちほど、私を皇位につかせないためにおまえがどんな陰謀をたくらんでいたのか白状してもらうとしよう」アンティオカュスはポテマをまっすぐに見すえた。「私は皇帝になるつもりだよ、狼の女王。さあ、行くがいい」 ポテマは義兄に手紙を手渡すと、部屋を出ていった。廊下に出てからしばらく、言葉が出てこなかった。大理石の壁についた目に見えないほど細かい裂け目からしたたり落ちる銀色の雨水をじっとにらんでいた。 「ええ、皇帝になるがいいわ」と、ポテマは言った。「けど、いつまでもというわけにはいかない」 物語(歴史小説) 茶2
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オルシニウム陥落 メニャヤ・グソスト 著 時は第三紀399年、メネヴィアとウェイレストに挟まれた広大な土地を見下ろす山腹に、立派で博学な裁判官がいた。法を遵守する公平なる仲裁者であり判事であった。 「とても説得力のある土地所有権の申し立てですな」と、裁判官は言った。「嘘ではありませんよ。しかしながら、競合者のかたの主張ももっともです。この仕事で頭を悩ませるのはこういうときなのですよ」 「そいつを競合者と呼ぶのですか?」ボウイン卿はせせら笑いながら、オークのほうを身振りで示した。ゴルトウォグ・グロ・ナグロムと呼ばれているその生物は、悪意に満ちた視線を投げ返した。 「土地所有権を主張するに足る書類はそろっていますからな」裁判官は肩をすくめた。「それに、わが国の不動産法は特定種族を差別いたしません。何世紀も昔のことですが、ボズマーの摂政時代もありましたな」 「ならば、豚や怪魚が所有権を訴えてきたらどうされるのです? 彼らにも私と同様の権利があると?」 「しかるべき書類がそろっていれば、そういうことになるでしょうな」裁判官は笑みを浮かべた。「複数の請求者に同等の所有権があるとされ、膠着状態になったときは、決闘で勝負をつけよと法はうたっております。なんとも時代遅れな法かもしれませんが、繰り返し検分してみたところ、現在においても有効とされるのです。帝都評議会のお墨つきで」 「どーしたらよいですか?」オークは低いしゃがれ声で訊いた。シロディールの言葉には不慣れらしい。 「第一の請求人、ゴルトウォグ卿は、決闘人の武器と鎧を選んでください。第二の請求人、ボウイン卿は決闘の場所を選んでください。チャンピオンを代理に立てるもよし、みずから戦うもよしです」 ブレトンとオークは互いの顔を見合わせて吟味した。ようやく、ゴルトウォグが口を開いた。「ヨロイはオークのヨロイ、武器はどこにでもあるハガネのチョー剣。魔法はナシ。妖術もダメ」 「決闘地はウェイレストにいるわがいとこ、ベリルス卿の宮殿の中庭としよう」と、ボウインは言った。軽蔑の眼差しをオークに向けながら。「オークの立会人は認められないものとする」 こうして話がついた。ゴルトウォグはみずから戦うと宣言し、まだ若く、社会的地位もあるボウインもまた、みずから戦わなければ面目を保てないと思っていた。そうはいっても、決闘の予定日の一週間前にいとこの宮殿にやってくると、稽古の必要性を感じた。オークの鎧一式を購入すると、ボウインは生まれて初めて、けた外れに重いうえに融通のきかないものを身にまとった。 ボウインとベリルスは中庭で手合わせをした。10分もすると、ボウインはいったん稽古を中断した。鎧を身につけて動いているうちに顔が上気し、息が切れた。彼の憤りに油を注いだのは、一発のパンチもいとこに当てることができず、自分は見せかけのパンチを何発も食らっていたことだった。 「どうしたらいいんだ」と、夕食どきにボウインは言った。「あの鋼鉄のモンスターを装備してまともに戦える誰かが見つかったところで、決闘に送り込んでゴルトウォグと対戦させるわけにはいかない」 ベリルスは同情した。奉公人が皿を片づけると、ボウインは椅子から立ち上がってそのうちのひとりを指差した。「オークが家にいるなんて聞いてないぞ!」 「ワシでしょうか?」その年寄りは情けない声で言った。ベリルス卿のほうを向いて、場の雰囲気を乱してしまったと恐縮していた。 「タナー爺のことか?」ベリルスは笑った。「昔からわが家に仕えてるんだ。どうすればオークの鎧を着こなせるのか、稽古をつけてもらったらどうだ?」 「いかがいたしましょうか?」タナーはへつらうように訊いた。 ベリルスもこのとき初めて知ったのだが、この奉公人はかつてハイ・ロックの伝説的な“呪いの軍団”に参加していたことがあった。タナーはオークの鎧の着こなしを知っているのみならず、家事手伝いをするようになるまでは他のオークの訓練師として活躍していたのだった。わらにもすがる思いだったボウインは、その場で彼を正式な訓練師として雇うことにした。 「力みすぎですな」訓練初日、闘技場でタナーは言った。「重たい鎧を着ていても意外と楽に動けるものですよ。関節はわずかな力で曲がるようにできています。無理に関節を動かそうとすれば、敵と戦うときまで力は残らないでしょうな」 ボウインはタナーの指導に必死でついていこうとしたが、たちまちいらつきだした。しかもいらつけばいらつくほど余計な力が入ってしまい、あっという間に疲れてしまうのだった。休憩して水を飲んでいるあいだ、ベリルスがタナーと話をしていた。ふたりの顔は、ボウインの勝利を楽観視しているふうには見えなかった。 それからの二日間、タナーはボウインを厳しく鍛えた。が、奥方であるエリソラの誕生日とかち合ってしまい、結局その日、ボウインは豪華な夕食を心ゆくまで堪能した。最初のコースは、ポピーとガチョウ油の酒にヒソップのバター炒めを添えたコックティンシュ。次のコースはカワカマスのローストに、ウサギのミートボール。メインのコースはキツネの舌のスライス、バロムプリンの牡蠣油がけ、バタグリア草とバタグリア豆。デザートはコレキュイヴァのアイスと砂糖のフリッター。食事を終えると、ボウインはぐったりと椅子にもたれかかった。と、ゴルトウォグと裁判官が部屋に入ってくるのが見えた。 「何しにきたのですか?」と、ボウインは叫んだ。「決闘まではまだ二日あります!」 「ゴルトウォグ卿が、決闘の日取りを今夜に変更したのですよ」と、裁判官は言った。「おととい私の使者を送ったのですが、あなたは訓練の最中でした。それでも、いとこのベリルス卿が代理で話を聞いて、日程変更に同意されたのです」 「しかし、後援者を召集する時間もありません」ボウインは不満をもらした。「それに、小柄な男なら殺せてしまえそうなほどのご馳走をたらふく食べたばかりなのです。ベリルス、そんなに大事なことをどうして教えてくれなかった?」 「タナーと相談したんだ」と、ベリルスは言った。いとこを欺いてしまったせいか、顔を紅潮させていた。「こういう状況のほうが、おまえは力を出し切れると考えたんだ」 闘技場での決闘はまばらな観衆の中で行われた。食事で満腹だったため、ボウインはとても軽やかに動けそうもないと感じていた。驚いたことに、鎧は彼の倦怠感をくみとったかのように、よろめきに合わせて滑らかで優雅な動きを披露してみせた。動きのこつをつかんでいくにつれて、ボウインは体ではなく心で攻めたり守ったりできるようになった。生まれて初めて、ボウインはオークの兜越しにものが見えるようになった。 もちろん、ボウインは負けた。採点されていたとしたら大差がついたはずだった。ゴルトウォグにはお手のものの戦いだったのだ。が、ボウインは裁判官がためらいがちに勝者を告げるまで、三時間以上も戦いつづけてみせた。 「この土地は、ソセンの土地にちなんでオルシニウムと名づけます」と、勝者はそう言った。 ボウインがまず思ったのは、どのみちオークには負けるのだから、大勢の友人や家族の目の前で戦わなくてよかったということだった。中庭をあとにして、夜の早いうちから望んでやまなかったベッドに向かおうとしたとき、ゴルトウォグとタナーが話しているのが目に入った。言葉は理解できなかったが、二人は知り合いのようだった。ボウインはベットに寝転がると、奉公人に老オークを呼びに行かせた。 「タナー……」と、彼はおだやかに言った。「ざっくばらんに答えてくれ。ゴルトウォグ卿に勝たせようとしたな」 「ずばりでございます」と、タナーは言った。「だが、あなたは健闘された。二日後に戦ったとしてもこうはいかなかったでしょう。私はですね、戦わずしてオルシニウムが奪われるのは我慢ならなかったのですよ」 物語(歴史小説) 茶4
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ハルガードの物語 タヴィ・ドロミオ 著 「史上最強の戦士はバイルス・ノメナスに違いないぜ」と、シオマーラは言った。「ノメナスよりも広大な地域を征服した戦士の名前を一人挙げてみな」 「そりゃあ、タイバー・セプティムさ」と、ハルガードは言った。 「セプティムは戦士じゃない、統治者だ。政治家だよ」と、ガラズは言った。「それに、征服した土地の広さだけで最強の戦士が決まるわけじゃない。剣の腕前なんてどうかな?」 「なにも剣だけが武器じゃない」と、シオマーラは異議を唱えた。「斧や弓の腕前じゃだめなのか? 武芸百般で最強の達人は誰だろうな?」 「武芸百般で最強の達人なんて思い浮かばんよ」と、ハルガードは言った。「ブラック・マーシュなら、アギア・ネロのバラクセスが最強の槍の使い手。アッシュランドのアーンセ・ルラーヴは比類ない棒術の名人。刀の達人はおれらが聞いたこともないようなアカヴィルの武将かもしれない。弓術となると……」 「ペリナル・ホワイトストレークは、たったひとりでタムリエル全土を征服したって話だぜ」シオマーラが割り込んできた。 「第一紀の前の話だろうが」と、ガラズは言った。「どうせ大半は神話さ。けど、偉大な戦士なら近代でもたくさんいるぜ。強奪者キャモランなんてどうだ? 混沌の杖を元どおりにしてジャガル・サルンを征伐した、知られざる英雄さ」 「無名のチャンピオンは、偉大な戦士とは呼べんな。女帝カタリアのチャンピオン、ナンドール・ベレイドならどうだ?」と、シオマーラは言った。「この世の武器ならなんでも使いこなしたという話だぜ」 「けど、ベライトはどうなった?」ガラスは笑みを浮かべた。「幽霊海で溺れ死んだのさ、鎧が脱げなくてね。注文の多いやつだと言われそうだけど、地上最強の戦士なら鎧の脱ぎ方くらい知っていてしかるべきじゃないかな」 「鎧の着こなしのうまさを技巧として評価するのは、難しいところだな」と、シオマーラは言った。「鎧一式を身につけたときに普段どおりに動けるか、動けないかのどっちかしかない」 「それはちがうな」と、ハルガードは言った。「そういう達人もいる。鎧を着てないときよりも着てるときのほうが、あれこれ巧くこなせてしまうものたちが。王の偉大なる祖父、フラール・パソロスの話を聞いたことがあるか?」 シオマーラとガラズは聞いたことがないと認めた。 「何百年も昔の話だ。パソロスは広大な土地を支配してた。その地で最強の戦士であることの証として勝ち取ったものらしい。現在の氏族の権力のほとんどは、パソロスが戦士として手に入れたものの上に成り立っていると言われてきたし、それは真実だろう。彼は毎週のように城でゲームに興じていた。近隣の地所のチャンピオンを相手に腕試しをして、賞品を勝ち取っていたんだ」 「パソロスは、武器の扱いに長けていたわけではなかった。斧や長剣もそれなりに使いこなせたが、重たい鎧一式を装備しながらてきぱきと俊敏に動けるのがご自慢の才能だったんだ。鎧を着てるときのほうが足が速いとさえ噂するものもいた」 「この物語の数ヶ月前、パソロスは近隣に暮らす娘を勝ち取った。メナという美しい女性で、彼は彼女を妻としてめとった。パソロスはメナを溺愛したが、とにかく嫉妬深かった。まあ、それももっともなことだが。メナは彼の夫としての能力に不満を感じていたんだな。それでも、メナが決してふらふらと出歩かなかったのは、パソロスが厳しく監視していたからだった。メナという女は、わかりやすく言うと、生まれながらの淫乱だったんだ。それに、賭けの対象にされたことで憤慨していた。パソロスが出かけるときはいつも彼女を同伴させた。ゲームの時は、特別にあつらえた箱に彼女を入れておき、勝負の最中でも目が届くようにしていた」 「しかしながら、本人は気づいていなかったが、パソロスの真の挑戦者は、やはり過去のゲームで勝ち取った若いハンサムな鎧職人だった。メナは彼を意識していた。タレンという名の鎧職人もはっきりと彼女を意識していた」 「ひわいな冗談にもなりそうな話だな、ハルガード」と、シオマーラは笑いながら言った。 「それはまったくもって正しいな」と、ハルガードは言った。「恋人たちが直面していた問題は、もちろん、どうしてもふたりきりになれないことだった。そういうせいもあって、ふたりの欲望は余計に燃えたんだと思う。タレンはふたりが愛を交わすとしたら、ゲームの最中しかないと踏んだ。メナは仮病をつかって、箱に入らなくてもすむように仕向けた。が、パラソスは勝負の合間を縫って数分おきに病室にやってきたため、タレンとメナはまたもやひとつになれなかったんだ。病気の妻を見舞うため、パソロスががちゃがちゃと鎧を鳴らしながら階段をのぼってくるのを聞いて、タレンはひらめいた」 「タレンは、主人のために鎧一式を新調したんだ。頑丈で色鮮やかで美しく装飾された鎧を。しめしめとばかりに、彼は脚の関節部にルカの粉をすり込んだ。パソロスが汗をかけばかくほど、脚を動かせば動かすほど、関節部がくっついて離れなくなるという寸法だった。しばらくすればパソロスは素早く動けなくなり、勝負の合間に妻を訪れようとしても時間切れになるはずだった。が、念のため、タレンは脚に鈴をつけておき、歩くと盛大に鳴るようにしておいた。彼が接近してきても余裕を持って対処できるように」 「翌週のゲームが始まると、メナはまた仮病をつかい、タレンは主人に新作の鎧を献上した。彼の期待どおり、パソロスはご満悦といった顔つきになって、最初の対戦にのぞむべく鎧を身につけた。タレンはこっそりと二階へ向かい、メナの病室に忍び込んだ」 「ふたりが愛を交わしはじめても、部屋の外はひっそりとしていた。メナははたと気づいた。タレンがおかしな表情になって、どうしたのかと尋ねようかと思った矢先、彼の首がごろりと落ちたのだ。背後には、パソラスが斧を手にして仁王立ちしていた」 「どうしてそんなに早く二階にやってこれたんだ、関節がくっついてるってのに? それに、鈴の音は聞こえなかったのか?」と、ガラズは訊いた。 「まあ、なんというか、足が思うように動かないとわかると、パソロスは逆立ちして歩いたんだ」 「ばからしい」シオマーラは笑い声をあげた。 「それからどうなった?」と、ガラズは訊いた。「パソロスはメナも殺したのか?」 「それからどうなったのか、詳しいことは誰も知らないんだ」と、ハルガードは言った。「パソロスは次のゲームには戻ってこなかった。その次のゲームにも。四ゲーム目になってようやく戻ってきて、戦いを再開したんだ。メナは箱の中から観戦した。もはや体調が悪そうには見えなかったらしい。それどころか、笑っていたんだ。ほんのりと顔を赤らめて」 「やったのか?」シオマーラは大声をあげた。 「そのあたりの事情はさっぱりわからないが、ゲームが終わると、パソロスの鎧を脱がせるのに従者が十人がかりで十三時間かかったそうだ。汗と混じったルカの粉のせいで」 「どうにも解せないな。パソロスは鎧も脱がずにあれをやったと── でもどうやって?」 「言っただろ」と、ハルガードは答えた。「この話は、鎧を着てないときよりも着てるときのほうが俊敏になんでもこなせる男の話なんだよ」 「いやはや、すごい才能だな」ガラズは言った。 小説・物語 緑3
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狂気の十六の協約 第十二巻 マラキャスの物語 オルシニウムの発見が為される前の時代、疎外されていたオークの民は、我々の時代における彼らの子孫が慣れているそれよりずっと厳しくおびただしい追放と迫害の対象となっていた。そのため多くのオーシマーのチャンピオンが、同胞の増殖のために境界を強化しながら旅をした。たくさんのチャンピオンたちが今でも語りぐさとなっており、その呪いの軍団には、無毛のグロンマと、気高いエンメグ・グロ=カイラも含まれている。後者の聖戦士は、あるデイドラの王子たちに目をつけられることがなければ、タムリエル中に知られる伝説的存在へと間違いなくのし上がっていたはずである。 エンメグ・グロ=カイラはある若い女性の庶子として生まれたが、母親は彼の出産と共に亡くなっていた。そのため、現在はノルマル高地と呼ばれている山に住む彼の部族、グリリカマウグの、シャーマンに育てられることになった。15歳の後半になってから、エンメグは部族における成人の儀式に従い、手の込んだウロコ鎧を一式、自分で鍛造して作った。ある風の強い日、エンメグは最後の鋲を打ち込み、分厚い外套の上に重いマントを羽織って、村から永遠に旅立った。隊商を盗賊の手から守ったり、奴隷にされた獣人を解放したりといった英雄的行為の噂が、常に故郷にまで届いた。気高いオークの聖戦士の噂はブレトンの者たちにまで喜々として語られるようになったが、わずかばかりの恐怖心を伴って伝えられることも多かった。 成人に達してから2年も経っていなかったある晩、グロ=カイラがテントを張っていると、どんよりとした闇の中から呼びかけるか細い声が聞こえた。明らかにオークの者ではない口から自分の部族の言葉が出るのを聞いて、彼は驚いた。 「カイラ卿よ」と声は語りかけ、「お前の功績が多くの者たちの口に伝っており、私の耳にも届いたのだ」。エンメグが暗闇に目をこらすと、ぼんやりとしたたき火に揺らめくように、外套をまとった者のシルエットがどうにか見えた。声のみで判断すると、侵入者は老婆かと思われたのだが、細かい所までは何も分からないものの、どうやらきゃしゃでひょろっとした体つきの男がそこにいるようだった。 「そうかもしれません。」と、慎重なオークは答え、「しかし私は栄光を求めてはいません。あなたは誰なのですか?」 質問を無視して、そのよそ者は話を続けた。「にもかかわらず、オーシマーよ、栄光はお前にもたらされた。そしてそれに見合う贈り物を私は携えている」。訪問者は外套をわずかに開き、淡い月の光にかすかにきらめくボタンだけをのぞかせながら、一つの包みを取り出し、二人の間にあるたき火のそばに放り投げた。その物に巻かれたぼろ切れを注意深く取り除くと、凝った装飾の柄を持つ、幅の広い弓なりの刃が出てきて、エンメグは驚嘆した。剣はずっしりと重く、実際に振ってみると、手の込んだ柄がかなりの重さを持つ刃とのバランスを保つという実用的な役割を果たしていることが、エンメグには分かった。今の状態では特にどうということがないようにも見えるが、汚れを落とし、取れてしまっている宝石を元通りにすれば、自分の十倍もの評価を持つチャンピオンにもふさわしい剣になるだろうと思われた。 「剣の名はネブ=クレセンだ」と、その価値を認めて顔を輝かせるグロ=カイラを見ながら、やせたよそ者が言った。「私は暖かい地方で、1頭の馬とある秘密とを差し出して、それを手に入れた。だがこの年齢になっては、そんな武器を持ち上げられるだけでも幸運というものだ。お前のような者に渡すことこそ、正しいことと言えるだろう。その剣を手にすれば、お前の人生は永遠に変わることになる」。鍛え上げられた弓なりの鋼鉄に夢中になる気持ちをひとまず抑え、エンメグは訪問者に注意を戻した。 「お言葉はもっともですが、ご老人、」あえて疑念を隠さずにエンメグが言った「私も馬鹿ではありません。交換によってこの剣を手に入れたのなら、今夜もまた、何かと交換するつもりでしょう。望みは何です?」。よそ者が肩の力を抜き、黄昏時にやってきた真の目的を明らかにしてくれたので、エンメグは喜んだ。よそ者と一緒にしばらく座り込んだ後、風変わりな武器との交換品として、たくさんの毛皮と、温かい食事、一握りの硬貨を彼に差し出した。朝が来る前に、よそ者は去っていった。 エンメグがよそ者と出会った翌週は、ネブ=クレセンが鞘から抜かれることはなかった。森で敵に遭遇することはなかったし、食事は弓矢で捕まえた鳥や小さめの獲物で賄っていたからだ。安らかでいられることが心地よかったが、7日目の朝、低く垂れ下がった大枝の間にまだ霧が立ち込めていた頃、深い雪と森の堆積物をザクザクと踏みしだく確かな足音が近くで発せられているのを、エンメグの耳は聞き取った。 エンメグは鼻の穴をひくひくさせてみたが、彼のほうが風上だった。訪問者の姿も匂いも分からず、しかも自分の匂いがそよ風に乗ってその相手のほうへと流れていることを知ったエンメグは警戒を強め、ネブ=クレセンを慎重に鞘から抜いた。次に何が起きたのか、エンメグ自身にも完全には分からなかった。 ネブ=クレセンを抜いてからの最初の記憶としてエンメグ・グロ=カイラの意識に残っているのは、弓なりの剣が目の前でさっと振られ、森の地面を覆う汚れなき粉雪に血が飛び散った光景だった。次に記憶にあるのは、激しく血を欲する感情が自分に忍び寄ってきたことだったが、その時になって初めて、彼は犠牲となった者の姿を目にしたのだった。それはおそらく彼より少し若いと思われるオークの女性で、その身体には、屈強な男を10回は殺せるほどのむごたらしい傷が一面についていた。 それまで彼を包んでいた狂気を嫌悪感が圧倒し、自らの全意志に後押しされるような形で彼は握りしめていたネブ=クレセンを放り投げた。耳障りな音を立てながら剣は宙を切り裂き、雪の吹き溜まりに埋まった。恥ずかしさと恐怖を感じたエンメグは、昇る太陽からの批判の視線を避けるかのように外套の頭巾で顔を隠して、その場から逃げ去った。 エンメグ・グロ=カイラが同族の一人を殺害した現場は、ゾッとするような有り様だった。死体の首から下は見分けもつかないほど斬りつけられて損なわれていたのに、無傷の顔は絶望的な恐怖の表情をしたまま凍りついていたのだ。 この場所でシェオゴラスがある儀式を行ってマラキャスを召喚して、デイドラの主である二人は、ひどく損なわれた死体の前で問い詰め合った。 「なぜこれを私に見せるのだ、マッドゴッド?」。言葉を失うほど激怒していた状態から立ち直って、マラキャスが口を開いた。「我が子らの殺害を嘆き悲しむ姿を眺めて、楽しもうとでも言うのか?」。ガラガラとした声を轟かせながらそう言うと、オーシマーの守護者である彼は責めるような目で相手を見つめた。 「生まれに関しては、彼女はお前の物だ。落ちこぼれの兄弟よ」。いかめしい顔つきと態度でシェオゴラスが話し始めた。「だが自らの習性により、彼女は私の娘になったのだ。私の悲嘆は決してお前のそれに劣る物ではないし、憤激もまた然りだ」 「それはどうか分からないが、」マラキャスが声を轟かせ「この罪に対する報復が私の役割であることは確かだ。貴様との争いなど望んではいない。下がっていてくれ」。恐怖の王子が押しのけて通り過ぎようとすると、シェオゴラス閣下が再び話し始めた。 「お前の報復を邪魔するつもりは全くない。実際、私はお前を助けたいのだ。この荒野には私の召使いがいて、我々の共通の敵がどこにいるのかを教えることができる。ただ、お前には私が選んだ武器を使ってもらいたい。私の剣で罪人を傷つけて、私の平面へと追いやって、私自身の罰を受けさせてやって欲しい。名誉のための殺人をする権利は、お前にある」 その申し出にマラキャスは同意し、幅広の剣をシェオゴラスから受け取ってその場を後にした。 マラキャスは殺害者の行く手に姿を現した。外套を身にまとった彼の姿は、猛吹雪の中にかすんで見えた。周囲の木をしおれさせるほど汚らわしい悪態の言葉をがなり立てながら、マラキャスは剣を抜き、野生の狐よりも素早く相手との距離を縮めていった。烈火のごとく怒った彼は滑らかな弧を描くようにして剣を振り、敵の首をきれいに切り払った。さらにその刃を胸に突き刺して柄の部分まで押し込み、血が噴き出すのを抑えたため、ウロコ鎧と重い外套の下で赤い泡の染みがじわじわと広がっていった。 予期せぬ慌ただしさと憤激を込めて殺害を行ったマラキャスは息を切らし、激しく傷ついて仰向けに倒れた死体と、大きな平たい石の上に無様に乗っかった首を前にして、片膝をついて休んだ。すると突然、静寂を打ち破る音が聞こえてきた。 「わ、悪かった……」。そう吐き出した声は、エンメグ・グロ=カイラの物だった。マラキャスが目を見開き、切断された頭を見つめると、傷口から血が染み出しているというのに、まだそれが生きていることが分かった。その瞳は激しく揺れ動き、前にいるマラキャスの姿に焦点を合わせようとしていた。かつて誇りに満ちていたチャンピオンの瞳は、深い悲しみと苦しみ、そして混乱がもたらす涙で一杯になっていた。 恐ろしいことに、ここに至って初めてマラキャスはあることに気がついた。彼が殺した男は、彼にとってオーシマーの子の一人であるというだけでなく、文字どおり、彼が今から幾年か前にあるオークの乙女に授けた息子だったのだ。落胆と衝撃に包まれて、二人はしばらくの間、痛々しく見つめ合った。 やがて、油を塗った鉄のごとき静けさで、シェオゴラスがその空き地まで歩いてやって来た。そしてエンメグ・グロ=カイラの切断された首を持ち上げ、小さな灰色の袋に放り込んだ。シェオゴラスはネブ=クレセンを死体から引き抜くと、背を向けて去っていった。マラキャスは立ち上がりかけたが、取り返しがつかないほど我が子を破滅させてシェオゴラスの領域へと送ってしまったことを知り、再びひざまずいた。そして、しわがれた声で弁明をする息子の声が凍える地平線へと消えていく中で、己の失敗を嘆き続けたのだった。 SI 神話・宗教 茶4
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バレンジア女王伝 第1巻 スターン・ガンボーグ帝都書記官 著 第二紀の後期、バレンジアはモーンホールド王国(現在の帝都州モーンホールド)の王女として生まれた。バレンジアは5歳まで、ダークエルフの王女にふさわしい贅沢と保護の下で育った。その頃、タムリエルの初代皇帝、タイバー・セプティム1世閣下はモロウウィンドの堕落した王たちに対し、彼の帝都支配下に加わるよう要請したのだった。自らの魔力を過信したダークエルフたちはその要請を拒み続けたため、ついにタイバー・セプティムの軍は国境まで迫ってきたのであった。結果としてダークエルフは停戦に合意したが、そこに至るまでにはいくつかの戦があった。その一つは、モーンホールド王国のがれきの山と化していた、現在のアルマレクシアにて繰り広げられた。 幼い王女バレンジアと乳母は、戦のがれきの中で発見された。ダークエルフでもあった帝都将軍シムマチャスは、その幼き子を生かしておけば後に役立つかもしれないと皇帝に進言した。こうして、バレンジアは元帝都軍兵に預けられることになった。 元帝都軍兵であるその人物、スヴェン・アドヴェンセンは、引退した際に伯爵の位を授かっていた。彼の領地、ダークムーアはスカイリム中心部にある小さな町だった。セヴン伯爵とその妻は、自らの子供のように王女を養育し、なによりも帝都の一員としての美徳、すなわち遵法、分別、忠誠、信仰などを教えこんだ。その結果、彼女はすぐにモロウウィンドの新しい支配者の一人としてふさわしい資質を身に付けた。 バレンジアは美しく、気品と知性にあふれた少女に育った。彼女は優しく、また養父母の誇りでもあり、養父母の5人の息子たちもみな彼女を姉として慕った。彼女には、見た目以外にも他の少女にはない特質を持っていた。森や野原と心を通わせ、ときどき家を抜け出しては自然の中を歩き回るくせがあったのだ。 16歳までバレンジアは、とても幸せな毎日を送っていた。そんなある日、仲良くしていた厩番の孤児の不良少年から、セヴン伯爵と客のレッドガードとの間で行われた話を聞かされたのであった。どうやら妾として彼女をリハドへ売り飛ばすことを企んでいるらしいことを。ノルドやブレトンは肌が黒い彼女と結婚したがるはずもなく、ダークエルフでさえも異人種に育てられた彼女を嫌がるに違いないという考えを伯爵は持っているというのである。 「どうすればいいのかしら?」と、バレンジアはふるえながら涙声で言った。まっすぐに育った彼女は、友達である厩番の少年が嘘をついているなんて思いもしなかったのである。 そのストロウという名の不良少年は、彼女の護衛を買って出て、貞節を守るべく一緒に逃げることを勧めてきた。悲しげにバレンジアはその計画を受け入れた。 そしてその夜、目立たぬよう男装をしたバレンジアとストロウは、ホワイトランの町へ逃げたのだった。 ホワイトランに着いてから数日後、彼らはある隊商を護衛するという仕事に就いた。このいかがわしい隊商は帝都の街道を通ると通行税がかかるため、脇道を通って東へ向かおうとしていたのである。そして、隊商とともに彼らは追っ手に見つかることなくリフトンの町へ辿り着き、しばらくその地に身を置くことにしたのだった。彼らはダークエルフが珍しくないこのモロウウィンドとの境界に近い町に、束の間の安らぎを感じたのであった。 歴史・伝記 茶4 バレンジア女王伝 第2巻 スターン・ガンボーグ帝都書記官 著 第1巻では、バレンジア女王の生い立ちから、タイバー・セプティム1世閣下に背いた彼女の父がモロウウィンドを滅ぼしたところまでを紹介してた。皇帝の寛大なはからいにより、幼い彼女は死を免れ、ダークムーアの帝都貴族であるセヴン伯爵夫妻に育てられた。彼女は美しく信心深く成長し、養父母に対する深い感謝を持っていた。ところが、その信じる心をセヴン伯爵の屋敷の厩番をしていた孤児の不良少年に利用され、作り話で騙された彼女は16歳のときにその少年とともにダークムーアを飛び出したのだった。道中でたくさんの危険に襲われながら、彼らはモロウウィンドにほど近いスカイリムの町、リフトンに辿り着いた。 厩番の少年ストロウは、根っからの悪人ではなかった。彼はバレンジアのことを自分勝手にではあったが愛していて、彼女を自分のものにするには嘘をつく以外にないと思っていたのだ。もちろん、バレンジアは彼をただの友達としか見ていなかったが、ストロウ自身はいつか彼女の愛を得ることを信じ続けていた。小さな農場を買って彼女と家庭を持つことを夢見ていたが、彼の少ない稼ぎはその日の食料と宿にすべて消えてしまうのだった。 二人がリフトンに来てまもなく、セリスという名のカジートの悪党が、町の中心地にある帝都指揮官の家を押し入る計画をストロウにもちかけた。セリスが言うには、帝徒に敵対するある人物がその家のもつ情報に大金を払うというのだ。バレンジアはその計画を漏れ聞き、震えあがった。彼女はその場をそっと離れ、外へ飛び出した。帝都への忠誠と仲間への愛情の間で彼女の心は引き裂かれていたのだった。 最後には、帝都への忠誠を選び、彼女は帝都指揮官の家へ行き、彼女の素性を明かした上で友人の計画を伝えたのであった。指揮官は彼女の話に耳を傾け、その勇気を称え、彼女には決して危害が及ばないことを約束した。だが、なんとその人物こそが、あの指揮官シムマチャスであった。彼はバレンジアを探し続け、ある情報を聞きつけてやっとの思いでリフトンに辿り着いたばかりであった。彼はバレンジアを保護し、真実を告げた。売り飛ばされるどころか、18の誕生日に再びモーンホールドの女王になることを知るのであった。その日が来るまで、バレンジアは政治を学び、皇帝に拝謁を賜るために新しい帝都でセプティム家とともに過ごすこととなった。 そして、帝都に迎えられたバレンジアと治世の半ばにあったタイバー・セプティム皇帝は親交を暖めた。タイバーの子供たち、特に長男ペラギウスは彼女を姉のように慕った。吟遊詩人たちは彼女の美しさ、清純さ、知恵、そして教養を称え歌い上げた。 18歳になった日、帝都中の人々が街道に出て故郷へ戻る彼女の送別パレードを見守った。誰もが彼女との別れを惜しんだが、モーンホールド女王としての輝かしい運命がバレンジアを待ち構えていることを皆は知っていた。 歴史・伝記 茶4 バレンジア女王伝 第3巻 スターン・ガンボーグ帝都書記官 著 第2巻では、バレンジアが新たに建てられた帝都に温かく迎えられ、一年近くの間、まるでずっと行方の知れなかった娘のように、皇帝一家から愛されたところまでを紹介してきた。数ヶ月間、帝都領地の女王としての義務と責任を学んだあと、シムマチャス将軍が彼女を護衛してモーンホールドへ送り届けた。この地でバレンジアはシムマチャスの手引きを得て女王として国を治めた。そして彼らは少しずつお互いを愛するようになり、やがて結婚した。彼らの結婚と戴冠を祝う盛大な式では、皇帝自らが司祭として儀式を執り行った。 数百年の結婚生活を経て、息子ヘルセスが生まれ、祝賀と喜びの祈祷で迎えられた。後になってわかったことだが、このめでたい出来事の直前、モーンホールド鉱山の奥から混沌の杖が持ち去られていた。盗んだのは謎めいた吟遊詩人で、ナイチンゲールと呼ばれた男だった。 ヘルセスが生まれてから8年間、バレンジアは娘を生んだ。シムマチャスの母親の名をとってモルジアと名づけられた。夫婦は幸せに満ちていた。しかし、その直後、不可解な理由から帝都との関係が悪化し、モーンホールドに不穏な空気が漂い始めた。原因究明と関係修復の努力は無駄に終わり、バレンジアは子供たちとともに帝都へ行き、皇帝ユリエル・セプティム七世と直接話すことにした。シムマチャスはモーンホールドに残り、不満を訴える領民や不安がる貴族たちに対応し、反乱を食い止めることになった。 皇帝との謁見の際、バレンジアは魔力を使って皇帝の正体を見抜き、その瞬間、恐怖と困惑に襲われたのであった。なんとあの混沌の杖を盗んだナイチンゲールではないか! だが彼女はつとめて平静を装った。その夜、シムマチャスは農民の反乱に敗れ、モーンホールドは反逆者の手に落ちた。バレンジアは誰に助けを求めたらよいのか途方にくれてしまったのだった。 だが、まるで今までの不運を埋め合わせるように、天はその運命の晩、彼女に味方した。皇帝とシムマチャス両方の旧友であるハイ・ロックのイードワイヤー王が訪問してきたのであった。彼はバレンジアを慰め、友情と協力を誓い、彼女の言うとおり皇帝が偽者であると断言した。皇帝になりすましているのは帝都軍の魔闘士ジャガル・サルンであり、ナイチンゲールは彼が持つ様々な顔の一つであるという。ターンは隠居し、彼の任務は助手リア・シルメインが引き継いだと言われていたが、そのリアは後に謎の死をとげたのであった。どうやらなんらかの事件との関連が疑われ、処刑されたこになっていた。しかしリアの亡霊はイードワイヤーの夢に現れ、真の皇帝はターンに拉致され、別次元に監禁されていると告げたのだった。そのことを元老院に知らせようとした彼女は、ターンに混沌の杖で殺されたのである。 イードワイヤーとバレンジアはともに、偽皇帝の信頼を得るために画策した。そのころ、偉大な力を秘めたチャンピオンという名でしか知られていないリアのもうひとりの仲間が、帝都の地下牢に閉じ込められていた。リアは彼の夢に現れ、逃走の準備が整うまで待つように告げるのであった。こうして、彼は偽皇帝を倒す計画を練り始めたのだった。 バレンジアは引き続き偽皇帝に近づき信頼を得た。彼の日記を盗み読みし、混沌の杖を8等分にして、それぞれをタムリエル各地の遥か彼方に隠したことを知った。バレンジアはリアの仲間の牢獄の鍵を入手し、看守を買収し偶然を装って彼の手の届くところに置かせた。バレンジアとイードワイヤーにすら名前のわからないチャンピオンは、リアが衰えつつあった力で開けた辺ぴな通用門から脱獄することができた。ついにチャンピオンは自由の身になり、すぐさま偽皇帝の打倒にに立ち上がった。 数ヶ月かけて盗み聞いた会話と盗み見た日記から、バレンジアは混沌の杖8つのかけらを探し当て、リアを通じてチャンピオンにそれぞれの隠し場所を伝えた。そして、一寸たりとも時間を無駄にすることなく、計画を行動に移したのであった。まず、ハイ・ロックにあるイードワイヤーの祖先の領地ウェイレストへ向かった。そしてターンが送り込む手下たちを回避し、復しゅうを図ることに成功した。ターンは、(バレンジアからは見透かされていたかもしれないが)、決して愚か者ではなく、非常に狡猾な男であった。彼は考えうるだけの策を弄してチャンピオンを突き止めて消そうとしたことは確かであった。 今日では周知のとおりだが、あの勇敢で不屈の精神を持つ名もないチャンピオンは、混沌の杖のかけらを全て集めることに成功し、混沌の杖によってターンを倒し、真の皇帝ユリエル・セプティム七世を救い出した。そして王政復古の後に、セプティム王朝を長年統制してきたシムマチャスを称える記念式典が帝都で行われたのである。 バレンジアとイードワイヤー王はともに苦難と危険を乗り越える中で互いに惹かれあい、帝都からそれぞれの領地へと帰ったその年に結婚した。バレンジアと前夫との間に生まれた2人の子供も、彼女とともにウェイレストへゆき、彼女の留守中はモーンホールドによって摂政が代理で統治することとなったのである。 今も、バレンジア女王はヘルセス王子とモルジア姫とともにウェイレストに暮らしている。イードワイヤーが他界すれば、またモーンホールドへ戻るだろう。 結婚したとき、イードワイヤーはすでに老いていた。従って、エルフと違って残念ながら世を去る日はそう遠くないとされている。しかし、それまでは、イードワイヤーとともにウェイレストを治め、やっと手に入れた平穏で幸せな生活をバレンジアは送ることとなるだろう。 歴史・伝記 茶4
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魔術師ギルド憲章 Ⅰ.目的 魔術師ギルドは魔術の専門家に利益を分配し、また魔術の公正な使用に関する規律を制定する。魔術師ギルドは、タムリエル市民の公益に重きを置き、魔術に関する知識の収集、保存、分配にあたる。 Ⅱ.権威 魔術師ギルドは、ヴァヌス・ガレリオンとライリス十二世によって第二期230年サマーセット島に設立され、その後、支配者ヴェルシデュ・シャイエのギルド法令によって認可された。 Ⅲ.規律および処分 ギルド構成員に対する犯罪には、厳罰をもって対処する。ギルド構成員のギルド内における以前の地位への復帰は、アークメイジが決定権を持つ。 補還:第三期431年より有効、ギルドに対する犯罪を犯したギルド構成員は、その場でギルド構成員としての諸権利を差し止められる。差し止めは、魔術師評議会の役員の決定により解除される。複数回差し止めを受けたギルド構成員は、評議会の略式決定に基づき即座に、永久的にギルドから追放される。 Ⅳ.加入資格 魔術師ギルドは、優れた知性と高い理想を持つ者をギルド構成員として受け入れる。候補者は、次に挙げる魔術の主要な分野に精通していなければならない:破壊、変性、幻惑、神秘。また、候補者は、魔術と錬金術に関する実際的な知識を有することも証明しなければならない。 Ⅴ.加入手続き ギルド構成員候補者は、ギルド本部の執事に面会し、考査の上、承認を得なけらばならない。 補還:第三期431年より有効、アークメイジであるトレイヴンの決定に基づき、候補者はギルド本部の全ての役員の承認を得た上で、その旨を速やかに魔術師評議会へ書面で通知しなければならない。 補還:第三期431年より有効、評議会の決定に基づき、帝都州における呪文の販売の収益は、ギルド本部に再分配される。各魔術分野は、下記の支部がそれぞれ担当する。 変性:シェイディンハル 召喚:コロール 破壊:スキングラード 幻惑:ブラヴィル 神秘:レヤウィン 回復:アンヴィル 社会 茶2 魔術師ギルド関連
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タララ王女の謎 第4巻 メラ・リキス 著 ジーナが皇帝の密偵、ブリシエンナ夫人に会うことは二度となかったが、彼女は約束を守った。帝都に仕える処刑人、プロセッカスは、ストレイル卿の屋敷に変装してやってきた。ジーナは有能だった。数日もあれば知るべきことは学べてしまいそうだった。 「こいつは単純な魅了の呪文でして、激怒したデイドロスを恋にのぼせた子犬に変えてしまう、ということはありません」と、プロセッカスは言った。「相手を怒らせるようなことを実行するか、そういったことを口にすれば、効果が弱まるでしょう。ちょうど幻惑の流派の呪文のように、あなたに対する相手の認識を一時的にゆがめますが、敬意や憧憬の念を抱かせようとしたら、もう少しマジカ性の弱い魅了を使って対処しなければならないのです」 「わかったわ」ジーナは微笑むと、ふたつの幻惑の呪文を教授してくれて師に感謝した。身につけたばかりのスキルを実践するときがやってきた。 カムローンにある娼婦のギルド屋敷は立派な宮殿で、裕福な街の北部地区にあった。サイロン王子は目隠ししていようが、いつものように泥酔していようが、そこまでたどりつけた。が、今夜の王子はほろ酔いといったところで、これ以上は一滴も飲まないと決めていた。今夜は楽しみたい気分だった。彼らしいやり方で。 「私のお気に入りはどこだね、グリジア?」彼は入ってくるなり、ギルドの女将に申しつけた。 「あの娘は先週のご指名で負った傷がまだ癒えておりませんのよ」と、女将は穏やかに言った。「他の娘はみな出払っておりますわ。けれど、あなたのためにとっておきの娘を残しておきましたの。新人ですけど、きっとお楽しみいただけますわ」 王子が案内されたのはビロードとシルクでぜいたくに装飾された特別室だった。王子が入ってくるのをみて、ジーナはついたての陰から歩み出ると、素早く呪文をとなえた。プロセッカスに教わったように、おおらかな心で信じながら。最初は魔法が効いているのかどうかなんとも言えなかった。王子は残忍な笑みを浮かべてジーナを見ていたが、雲間から太陽がのぞくように、残虐性がさっと晴れた。王子はジーナの手中にあった。彼女に名前を訊いてきた。 「名前と名前の板ばさみになっておりますの」ジーナはからかった。「本物の王子様と愛し合ったことなんてございませんわ。王宮に入ったことすらありませんの。さぞかし…… ご立派なんでしょうね」 「まだ私のものではない」王子は肩をすくめた。「が、いつかきっと王になる」 「あんな王宮で暮らせたら素敵でしょうね」と、ジーナは甘えた声で言った。「一千年の歴史。見るものすべてが古めかしくて美しい。絵画、書物、彫像、タペストリー。皇室の方々は過去の財宝をみんな手放さずに持っておりますの?」 「ああ。くだらないがらくたと一緒に宝物庫の資料室にしまってある。そろそろ、おまえの裸を見せておくれ」 「まずはおしゃべりを楽しんでから。王子様がお脱ぎになりたいとおっしゃるなら、どうぞご自由に」ジーナは言った。「資料室があるとは聞いておりましたけど、巧みに隠されているとか」 「皇族の墓所の裏手にまやかしの壁がある」と、王子は言った。彼女の手首をつかんで引き寄せると、彼女の唇を奪った。と、その目つきが変わった。 「腕が痛みますわ」と、ジーナは叫んだ。 「おしゃべりはおしまいだ、妖艶な売春婦め」王子は怒鳴った。鋭い恐怖心を押さえつけながら、ジーナはつとめて冷静であろうとし、知覚イメージが流れるにまかせた。王子の怒れる口が彼女の唇に触れると、ジーナは幻惑の師から学んだふたつめの呪文をとなえた。 王子は肉体が石と化したのを感じた。その場に凍りついたまま、ジーナが乱れた服装を直して部屋から出ていくのを見ていた。麻痺状態はあと数分しか続かないが、ジーナにとってはそれだけで充分だった。 ジーナとストレイル卿の指示どおり、ギルドの女将はすでに娼婦たちを連れて逃げていた。事態が沈静化すれば、戻ってくるようにとの連絡が彼らから入ることになっていた。この計略の一端を担ってくれたにもかかわらず、女将は一銭も受け取ろうとしなかった。娼婦たちはあの残虐な変態王子に二度と拷問されないですむなら、それだけで充分だからと。 「とんでもない坊やね」法衣の頭巾を上げながら、ジーナは思った。ストレイル卿の屋敷に向かって通りを突っ走っていた。「あの坊やが王になることがなくてよかったわ」 翌朝、カムローンの王と王妃はいつものごとく貴族やら外交官やらと接見していた。人の集まりが悪く、謁見室はがらがらだった。一日を始めるやり方としてはあまりに気だるかった。ひとつの陳述が終わると、いかにも王らしいあくびをした。 「肝心な人たちはどうしてしまったの?」王妃がつぶやいた。「私たちの大切な坊やは?」 「北区のあたりで荒れに荒れているらしい。娼婦に騙されてあとを追ってるようだな」王は愛のある含み笑いをもらした。「なんともできのいい息子だわい」 「それなら、あなたの魔闘士は?」 「きわめて難しい任務にあたらせている」王は眉を寄せた。「が、かれこれ一週間になるし、まるで音沙汰がない。穏やかではないな」 「もちろんだわ。エリル卿をそんなに長い間遠ざけておくべきじゃないもの」王妃は顔をしかめた。「危険な妖術師が私たちを脅してきたらどうするの? あなたは笑うかもしれないけれど、ハイ・ロックの王族が魔術師の家臣をいつも傍らに待機させているのはそのためでしょう。邪悪な付呪から王宮を守るためだわ。こないだだって、哀れな皇帝が付呪に苦しめられたじゃないの」 「側近の魔闘士の手でな」王はくすくすと笑った。 「エリル卿はあんなふうにあなたを裏切ったりはしないわ。わかってるでしょう。あなたがオロインの公爵だった時代から仕えてきてるのよ。エリル卿とジャガル・サルンをそうやって比較するなんて、まったく…」王妃ははねつけるように手を振った。「タムリエル各地の王国をむしばんでいるのは、その類の信頼感の欠如なの。ストレイル卿なら──」 「そういえば彼も行方不明になっているな」王は沈思黙考した。 「大使のこと?」王妃はかぶりを振った。「いいえ、ここにいるわよ。どうしても墓所を訪れてあなたの高貴なる祖先に敬意をささげたいって言うから、場所を教えてあげたわ。おかしいくらい時間がかかってるけど、それだけ敬虔だってことかしらね」 王妃は驚いた。王が立ち上がったのだ。その顔に危機感を浮かべて。「どうして黙ってたんだ?」 王妃が答えようとするまでもなく、話題の主が開け放たれた扉から謁見室に入ってきた。一流貴族が着るような緋色と金色の壮麗なガウンをまとった金髪の女性をその腕に従えて。王妃は、あ然としている夫の視線を追っていき、同じようにあ然とした。 「大使は『花祭り』の娼婦の一人にご執心だったと思ったけど、淑女ではなくて」と、王妃はささやいた。「しかも、あなたの娘にそっくりだわ、ジリア夫人に」 「ああ、瓜二つだ」王は息をのんだ。「ジリアのいとこのタララ姫だ」 謁見室の貴族たちはこそこそと話をしていた。姫が失踪したのは20年前で、王族の他のメンバー同様に殺されたというのが大方の見方だった。その当時から王宮で働いていたものは少なかったが、何人かの古参の政治家がはっきりと覚えていた。玉座の上に限らず、「タララ」という言葉が付呪のように空気中を伝播していた。 「ストレイル卿、そちらのご淑女を紹介していただけませんか?」王妃は丁寧な笑みを浮かべて訊いた。 「しばしお待ちを、王妃様。まずは、火急の件を論じなければなりませんので」ストレイル卿は頭を下げた。「できれば内密に行いたいのですが」 王は帝都の大使をじっと見て、表情から真意を読み取ろうとした。手を振りかざして貴族たちを退出させ、扉を閉じさせた。謁見室に残されたのは王、王妃、大使、数名の近衛兵、それと謎の女性だった。 大使がポケットから一枚の黄ばんだ羊皮紙を取り出した。「王様、兄上とご家族が殺されてあなたが戴冠されたとき、当然のことですが、証文や遺言のような重要書類はすべて、書記官や大臣の管理のもとで保管されました。亡き王の副次的な重要ではない私的文書については、慣習にのっとって、資料室に送られました。この手紙はその中から見つかったものです」 「いったいどういうことなのかね?」と、王は大声で言った。「手紙には何と?」 「王様のことではありません。実際のところ、王様が戴冠なさった時点では、誰かが手紙を読んだところでその意義が理解できなかったでしょうな。手紙はあなたの兄上である亡き王が皇帝に宛てたもので、暗殺の直前に書かれました。ここカムローンのセシエテ神殿にかつて魔術師および僧侶として仕えていた、義賊についての手紙です。その義賊の名は、ジャガル・サルン」 「ジャガル・サルン?」王妃はそわそわしながら笑った。「あらあら、ちょうどサーンのことを話してたのよ」 「サーンは、強力な呪文や忘れられし呪文に関する書物を何冊も盗み出しました。それから、混沌の杖のような秘宝にまつわる伝承も。杖の隠し場所や使い方を知るために。情報はゆっくりと西方のハイ・ロックまでやってきます。皇帝の新たな魔闘士の名がジャガル・サルンだという情報が亡き王の耳に入る頃には、もう何年も過ぎていました。亡き王は手紙をしたためて、背徳の魔闘士について皇帝に警告しようとしました。が、手紙が完結することはなかったのです」ストレイル卿は手紙を高く掲げた。「手紙の日付は385年の、王が暗殺された日です。ジャガル・サルンが皇帝を裏切って『虚構帝都』による10年間の暴政を開始する4年前のことです」 「じつに興味深い話だが」王は吠えるように言った。「私と何の関係があるのだ?」 「帝都は現在、亡き王の暗殺にただならぬ関心を寄せています。そして、あなたの忠実なる魔闘士、エリル卿から自白を取らせていただきました」 王は顔色を失った。「このみすぼらしい虫けらめ、何人たりとも私を脅せるものか。おまえも、その娼婦も、その手紙も、もう二度と陽光をおがむことはあるまい。衛兵!」 近衛兵が剣を抜き放ち、つめ寄ってきた。と、いきなり光がきらめき、プロセッカス率いる帝都の処刑人たちがわらわらとわいてきた。彼らは何時間も部屋に潜んでいたのだ。誰にも気づかれないように影の中で息を殺して。 「帝都の偉大なる太陽、ユリエル・セプティム七世の名において、あなたを逮捕します」と、ストレイルは言った。 扉が開かれ、うなだれた王と王妃が連れ出された。ふたりの息子であるサイロン王子が寄りつきそうな場所を、ジーナはプロセッカスに教えた。謁見室にいた廷臣や貴族は、彼らの王と王妃が奇妙なほど厳粛に王立刑務所へと行進していくさまをながめていた。口を開くものはいなかった。 とうとう声が上がったとき、誰もが仰天した。ジリア夫人が王宮に到着したのだ。「どういうことなの? 王と王妃の権威を奪ったりして、一体どういうつもりなの?」 ストレイル卿はプロセッカスのほうを向いた。「われらとジリア夫人だけで話をしたほうがいい。なすべきことはわかっているな?」 プロセッカスはうなずくと、謁見室への扉をまたもや閉めた。廷臣たちは木の扉に体を押しつけ、ひと言たりとも聞き逃さないよう耳をそばだてた。黙ってはいたが、彼らもまた、ジリア夫人と変わらぬくらい事情を知りたがっていたのだ。 物語(歴史小説) 緑2
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シェザールと神々 帝都図書館 古代神学・古数神秘学芸員補 フォースティラス・ジュニアス 著 シェザールは誤解されがちな存在であるが、シロディールでは信仰を勝ち得ている。彼や、他の多くの神々は、帝都における数々の大規模な宗派の崇拝の対象となっている。シェザールは特に西部コロヴィア地方で崇拝されており、当地ではショールという名で呼ばれている。西部の王たちの多くが民族意識的にも宗教的にもノルドであるためである。 シェザールと他の神々との関係にはわからない部分が多い(彼はよく神々の「失われた兄弟」と呼ばれる)。その経歴はシロディールの「奴隷の女王」と呼ばれた聖アレッシアが帝都シロディールの原型を築いた時代から始まる。ハートランドにおけるシロディールとノルドたちの歴史の初期、シェザールは人間を代表してアイレイド(ハートランドの支配者エルフ)と戦った。その後、なぜかシェザールは歴史の舞台から消え(他の土地の人間を助けに行ったと考えられている)、彼の統率力を失った人間たちはアイレイドによって征服され、彼らの奴隷と化した。 奴隷制度は何世代にもわたって続いた。そのあいだ、互いに接触のなかった人間たちは主人であるエルフたちの神々を崇めるようになり、また彼らは支配者エルフの宗教的な習慣を彼ら自身の信仰に取り入れたため、人間とエルフの宗教は混ざり合い、区別があいまいになっていった。 第一紀242年、アレッシアと彼女の半神の恋人である「カイネの息吹」モーリアウス、そして悪名高いペリナル・ホワイトストレークに率いられ、シロディールの人間たちは反乱を起こした。スカイリムがこの南の奴隷の女王に味方の兵を送って協力したため、反乱は成功した。アイレイドの覇権は瞬く間に滅ぼされた。それからまもなくして、アレッシアの勢力は白金の塔を占領し、アレッシア自ら最初のシロディール女帝となった。そのことはまた、彼女がアカトシュ信仰の女教皇となったことも意味した。 アカトシュはアルドメリの神であり、アレッシアの治める人々はまだエルフの神々への信仰を捨てようとしていなかった。このことは、彼女に政治的な問題をもたらした。彼女はノルドの人々を支配化に置いておきたかったが、彼らは(当時は)エルフの宗教を拒絶していたのである。だからといって、人々に今度はノルドの宗教を強要することはさらなる革命をまねく恐れがあり、避けたかった。そのため、宗教的寛容が推進され、女皇アレッシアは新たな信仰の対象を設けた。八大神である。八大神は、ノルドとアルドメリそれぞれの宗教の綿密な調査に基づく適切な融合であった。 結果として、シェザールについても変更が加えられなくてはならなかった。彼はもはや、アルドメリと敵対する血に飢えた武将ではいられなかったのである。しかし彼はまた、消え去ることもできなかった。彼を信仰することを否定すれば、ノルドの人々はアレッシアの支配圏から去ってしまっていたであろう。最終的に、彼は「人間の全ての営みを助ける御霊」ということになった。これはショールの特徴を薄め、軽く偽装したようなものであったが、ノルドたちは満足していた。 なぜタイバー・セプティムがアルドメリの領土を攻める際に本来のシェザールを「復活」させなかったのかについては、憶測の域を出ないが、アレッシアたちの悪行(ドラゴンの突破、正義戦争、ゲルナンブリア・ムーアでの敗北)の記憶は、帝都の王座をめぐる戦いに不利に働くと考えられたからであろう。 九大神の騎士関連 白1 神話・宗教
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タララ王女の謎 第1巻 メラ・リキス 著 時は第三紀405年。ブレトンのカムローン王国の建国千年の祝典での出来事である。すべての大通りや狭い小道に、様々な金と紫の旗が掲げられた。非常に簡素なものや王家の紋章が印されたもの、王の臣下の公国や公爵位の紋章が印されたものもあった。大小の広場では楽隊が音楽を奏で、通りや角で異国情緒溢れる新進の大道芸人たちが芸を披露していた。レッドガードの蛇使いや、カジートの曲芸、本物の魔力を持つ手品師。もっとも、手品師たちの見せるきらびやかな芸は、たとえ本当の魔術でなくても見るものに感銘を与えた。 カムローン男性市民の注目を一身に集めたもの、それは「美の行進」であった。一千人もの麗しく若い女性たちが、挑発的な衣装に身をつつみ、セシエテ神殿から王宮までの大通りを踊りながら練り歩いていた。男たちは皆互いに押し合い、よく見えるように首を伸ばし、お気に入りの女性を見つけようとした。その女性たちが売春婦であることは一目瞭然で、このあと夜には「花祭り」が待ち構えていた。その祭典で彼女たちはより親密な「お仕事」をこなすのだ。 ジーナは絹と花びらでところどころ覆われたすらりとした曲線美と亜麻色の巻き毛で、多くの男性の視線を集めていた。年は20代後半にさしかかり、売春婦の中でも決して若いわけではなかったが、間違いなく最も魅力的だった。その物腰から、挑発的な流し目を使い慣れているのは明らかだったが、彼女は壮麗な街の眺めに飽きてそうしているわけでは決してなかった。彼女の故郷であるダガーフォールのごみごみした街並みと比べれば、祝典ムードできらめくカムローンは夢の世界のように感じられた。しかし不思議なことに、彼女はここへ一度も訪れたことはなかったのに、既視感を覚えていた。 国王の娘、ジリア夫人は馬にまたがり宮殿の門をくぐり出ると、すぐさま自分の不幸を呪った。すっかり“美の行進”のことを忘れていたのであった。通りは混沌とし、人々が立ち止まっていた。行進が過ぎ去るまで小一時間は待たなければいけなかった。しかし彼女は、街の南方にある老乳母ラムクの家を訪れる約束をしていたのだった。ジリアはしばし考えをめぐらせ、街の通りを思い浮かべ、行進でふさがれている大通りを避けて通る近道を考えついた。 走り出してしばらくの間は賢明な策を取ったと思っていたが、小道を曲がるとそこには祝典のための仮説テントや舞台で通行止めになっていた。あっという間に、長年──5年をのぞいて──住み続けたこの街で迷子になってしまったのである。 路地から覗き込むと、大通りは依然「美の行進」で盛り上がっていた。そこが行進の最後尾であること、再び迷子にならないことを祈りながら馬を祝典の方へと向けた。彼女は路地の出口に蛇使いがいることに気づいていなかった。蛇がシューシューと音をたてながら頭を膨らませたその時、馬がおびえて後ろ足で立ち上がってしまった。 行進に加わっていた女性たちはハッと息をのむとすぐさま散ってしまったが、ジリア夫人はすぐに馬を鎮めた。彼女は自分のしでかした失態に赤面して、「ごめんなさいね。淑女のみなさん」と言って軍の敬礼をまねてみせた。 「ご心配なさらないでください」と金髪の髪に絹をまとった女性が答えた。「すぐに道を空けますわ」 ジリア夫人は行進が過ぎ去るのを見ながらも、自分と鏡で映したかのごとくそっくりなその女性に目を奪われていた。同じ年頃、同じ背丈、同じ目の色に容姿、どれをとってもほとんど同じだった。その女性も同じようにジリアを見つめ返していた。まるで同じことを考えているかのように。 それはジーナだった。時折ダガーフォールに立ち寄る年老いた魔女が、ドッペルゲンガーのことを話していた。自分に似た姿形で現れ、死の前兆を表すもの。しかし、彼女はまったく怯えなかった。この異国の地で起きたちょっと変わった出来事ぐらいにしか捉えなかったからだ。行進が宮殿の門に辿り着く頃には、そんな出来事もすっかり忘れてしまっていた。 売春婦たちが宮殿の中庭でひしめきあっていると、国王がバルコニーに姿を現した。彼の両隣には護衛隊長と魔闘士が彼からじっと目を離さずに側に仕えていた。国王は中年のなかでは美形なほうであったが、ジーナにしてみれば、正直に言ってそれほどたいしたほどでもなかった。しかし、国王を見たジーナは恐れおののいた。「あれは確か夢で…… そう、夢の中だわ」彼女は国王と夢の中で会ったことがあるのだ。今では2人の間に距離があるものの、夢の中で国王はひざまずいて彼女にキスをしたのだ。欲望からではなく、優しさと礼儀のこもったキスであった。 「淑女のみなさま、このカムローンの偉大な首都や大通りにあなたがたの美を降り注いでくれたことに感謝します」と国王は大声で言い放ち、集まった聴衆の笑いや話し声を一気に鎮めた。誇り高い笑みをたたえたその時、国王とジーナの目が合った。彼は話をやめ、震えた。永遠にも感じられそうなほどの時間、王妃が間に割って入り、演説を続けるよううながすまで2人は見つめあった。 女性たちは夜の祭典に向けて着替えのテントへと向かっていった。そこへ1人の古株の売春婦がジーナに近づいてきた。「国王のあの目、見た? もしあんたがうまく立ち回れば、この祝典が終わる頃には側室に仲間入りできるよ」 「今までさんざん『腹ぺこ』のやつらを見てきたけど、今回のはなんだか違う気がするのよ」とジーナは笑った。「それか馬に乗って突進してきた娘さんと間違えたんじゃないかしらね。彼女は確か王族の人でしょ。彼は多分自分の身内が売春婦の格好をして行進に参加してるのかと見間違えたんじゃないかしら。それはそれでスキャンダルよね」 二人がテントに戻ると、がっちりとした体格の、着飾った頭の禿げた若い男から挨拶を受けた。彼は自己紹介をした。彼の名はストレイル卿といい、皇帝から直々に遣わされた大使であって、彼女たちを雇っているパトロンだそうだ。国王とカムローン王国へのプレゼントとして今回彼女たちを雇い入れた張本人であった。 「『美の行進』は『花祭り』の前座にすぎません」国王と違って大声を出しはしなかったが、彼の地声は十分大きく、はっきりと聞こえた。「すばらしい演出を期待しておりますよ。今回の莫大な経費に見合うようなものを見せていただかないと。さあ、日が沈みきる前に支度してキャヴィルスティル・ロックに行ってください」 大使が心配するほどでもなく、女性たちは皆この仕事のプロフェッショナルだったので、着るものを脱いだり着たりするのは、普通の女性が求められるのより何倍も速かった。彼の召使いが着替えの手伝いをするよう申し出たが、実際彼が手伝うようなことは何一つなかった。女性たちの衣装はいたってシンプルであり、やわらかく、細いシーツのようであり、頭を出す穴が開いているだけであった。ベルトがなければ彼女たちの四肢を露にするだけのガウンのようなものだった。 日が沈むよりも早く売春婦たちはダンサーへと様変わりし、キャヴィルスティル・ロックにいた。そこは海に面する広々とした岬で、「花祭り」には最適の場所であり、まだ灯りのついてない松明が大きな輪になって、ふたのされたかごが置かれていた。女性たちと同様に早めに到着した客で、すでに会場は溢れんばかりであった。女性たちは円の中心へと集まり、時が来るのを待った。 ジーナは膨れ上がる観衆を見ていた。行進の時に出会った王女が彼女の元へと近づいてくるのを見てもさして驚かなかった。彼女は、年老いて短い髪も真っ白となった女性を引き連れていた。その老女は沖合いの島を指差したり、不安な様子であった。王女のほうは何といったらよいかといった緊張した面持ちであった。ジーナはこの手の不安を抱える客には慣れていたので彼女のほうから声を掛けた。 「またお会いしましたね。私、ダガーフォールのジーナと言います」 「さきほどの馬の件、どうかお気を悪くなさらないでくださいね」と言って王女は笑い、幾分安心したかのようだった。「私はジリア夫人・レイズと申します。国王の娘です」 「国王の娘ならば『王女』とお呼びしたほうがよいかしら」とジーナは笑顔で答えた。 「カムローンでは、王家を継ぐ場合のみ、そう呼ばれます。父には新しい女王との間にできた息子がおりますので」とジリアは答えながら、自分の言葉にめまいを覚えた。売春婦に王族の内部事情を詳しく話してしまうとは。「この話題に関連することですが、ちょっと不思議なことをお聞きしてよろしいかしら。今までタララという名を耳にした覚えはございませんか?」 ジーナはしばらく考え、「どこかで聞いたことがあるような名前だわ。なぜ私に?」と答えた。 「わかりません。もしかしたらあなたは知っているんじゃないかと思って」と言ってジリア夫人はためいきをついた。「今までにカムローンに住んだことは?」 「あったかも知れませんが、おそらくうんと小さい頃にですね」とジーナは答えたが、彼女は今は何事も率直に答えるべきだと感じた。ジリア夫人の親しみやすさや、率直な物言いが彼女をそういう気持ちにさせたのかもしれない。「正直に言いますと、9、10歳より前のことはあまりよく覚えておりません。おそらく、両親とこの地に住んでいたかもしれませんが、その両親もどんな人たちだったのか… 私もすごく幼かったので。でも、昔ここにいたような気がするんです。はっきりとは思い出せないのですが、この街も、あなたま、国王もみな…… 見たことがあるような気がします。昔ここにいたことがあるみたいに」と、ジーナは言った。 ジリア夫人はハッと息を飲み、後ずさりした。海を見つめ、ブツブツとつぶやく老女の手をグッと握り締めた。彼女はジリア夫人を驚いたように見て、その視線をジーナの方へと移した。彼女の年老いて半分ほどにしか開かれていない目は、何かをとらえたかのように光が宿り、驚きの声をあげた。その声に今度はジーナが驚いた。国王がもしかしたら夢で会ったかもしれない程度であれば、この老女は確かに知っている顔だった。守護霊のように確かでおぼろげな存在。 「ごめんなさい」と、ジリア夫人は口ごもりながら言った。「この人はわたしの子どもの頃の乳母で、名前はラムクと言います」 「彼女です!」と老女は目を見開き、大声で叫んだ。老女は前へ進み出ようと手を伸ばしたが、ジリアが背中を押さえた。ジーナは自分が裸同然の格好のように感じ、ローブを体のほうへたぐり寄せた。 「違うわよ」とささやいて、ジリア夫人はラムクをしっかりと抱いた。「タララ王女は亡くなったのよ。知ってるでしょ。あなたを連れてくるべきじゃなかたわ。おうちへ帰りましょう」ジーナの方を振り向いたジリア夫人の目には、大粒の涙がこぼれていた。「カムローン王家は、20年以上前に皆暗殺されてしまったのです。私の父はオロイン公爵、国王の弟です。亡き兄の後に、王位を継承しました。ごめんなさい、お騒がせしてしまって。おやすみなさい」 ジーナはジリア夫人と老女が観衆の中に消えていくのを見守った。しかし彼女には先ほどまでの話の内容を考える時間は少しもなかった。日は沈み、いよいよ「花祭り」の始まる時刻となった。暗闇から腰巻とマスクだけを身につけた20人の若い男が松明をかかげて現れた。炎が燃えさかり、ジーナと他の女性たちダンサーがかごへ駆け寄り、中に入っている花やつる草を両手いっぱいに抱えた。 初めに、女性たちはペアを組んで、風に向かって花びらを舞い散らせていた。音楽が盛り上がるにつれて観衆も参加してきた。そこは狂おしくも美しい混沌となった。ジーナは森の妖精のごとく夢中で飛び跳ねた。しかしその時、なんの警告もなしに、ごつごつとした手が彼女を背中から突き飛ばした。 何事かと理解する前に彼女は落ちていった。なんとか意識を失わずにはいたが、気がついた時には彼女は100フィートもの高さのある崖のふもと近くまで落ちていた。彼女は腕をばたつかせ、岩肌をとらえた。指で岩肌を探り、傷を作りながら、なんとか捕まれるところを見つけ、そこにはりついた。しばらくの間、その体勢のまま息を激しくついた。そして彼女は大声で叫び始めた。 音楽と祭りの騒ぎとで、どんなに大声を出しても、崖の上にいる人たちには届かなかった。彼女自身、自分の声が聞き取れなかった。彼女の下には波が激しく打ちつけていた。ここから落ちようものならすべての骨がぐしゃっと折れてしまうであろう。彼女が目を閉じると、あるイメージが浮かんできた。彼女の下に1人の男が立っている。深い知恵と慈悲を持った王が暖かい眼差しで彼女を見上げている。そして、髪は金色に輝き、いたずらが好きそうな顔つきで、親友でもあり身内でもある小さな女の子が現れて、今、ジーナのそばで岩にしがみついていた。 「いい? 飛び降りるコツはね、体の力を抜くことよ。それと幸運ね。大丈夫、あなたは助かるわ」少女は言った。彼女はうなずいて、少女が誰であったかを思い出した。八年間の暗闇が一気に晴れ上がったのだ。 彼女は手を離し、風の上に舞い落ちる木の葉のように落ちていった。 物語(歴史小説) 緑3 タララ王女の謎 第2巻 メラ・リキス 著 彼女は何も感じなかった。暗闇が彼女の体と心を包んでいた。突然足に痛みが走り、その感覚とともに全身をひどい寒さが包んだ。彼女は目を開け、自分が溺れていることに気付いた。 左足はまったく動かず、右足と腕を必死に動かして頭上に見える月にむかって泳いだ。水流が彼女を水底におし戻そうとしたので長い時間がかかったが、やっとのことで水面にたどりつき、夜の冷たい空気の中に顔を出すことができた。そこからはまだカムローン王国の首都の岩だらけの海岸線が見えたが、彼女が海に落ちたキャヴィルスティル・ロックからはずいぶん離れていた。 落ちたんじゃない。彼女は思った。落とされたのだ。 彼女はしばらく、海流に流されるままになっていた。このあたりの海岸は海面からすぐ切り立った崖になっていた。前方の海岸の上に大きな屋敷の影が見え、近づいてゆくと煙突から出る煙や窓にうつる暖炉の火の光が見えた。足の痛みもひどかったが、それよりもこの水の冷たさは耐えがたかった。暖炉の火にあたりたい一心で、彼女は再び泳ぎだした。 海岸まで泳いできたが、陸に上がろうとして立てないことに気付いた。岩と砂の間を這い進みながら、彼女の目からは涙が零れ落ち海水と混じりあった。花祭りのための衣装だった白い布はぼろぼろに破け、鉛でできた重りのように背中にのしかかった。彼女はとうとう疲れきって前のめりに倒れ、すすり泣きはじめた。 「助けて!」彼女は叫んだ。「聞こえますか、お願い、助けに来て!」 すこし間があってから、屋敷の扉が開き、女の人が出てきた。花祭りで会った、ラムクという名前の老婦人だった。花祭りで、彼女が誰かわかる前に「彼女が来たわ!」と最初に叫んだのがこの老婦人だった。しかし、海岸に倒れた彼女のもとに近づいてくるとき、老婦人の目にその時の輝きはなかった。 「なんてことでしょう、怪我してるのね?」ラムクはささやき、松葉杖のように彼女を支えて立ち上がらせた。「あなたの衣装には見覚えがあるわ。今夜の花祭りで踊っていませんでしたか? 私は王様のご令嬢ジリア・レイズ様と一緒にそこにいたんですよ」 「知ってます。彼女が私たちを紹介してくれたんです」と、彼女はうめくように言った。「私、ダガーフォールのジャイナです」 「ああ、そうでした。見たことがあると思いましたよ」老婦人は笑い、彼女を支えて一歩一歩海岸を進ませ、屋敷へ導いた。「この歳になると、あまり新しいことを覚えておけないの。さあ、暖かいところへどうぞ。足の怪我をみてみましょう」 ラムクはジャイナの体から濡れた布を取り、かわりに毛布で包んで暖炉の前に座らせた。冷えた体が温まって感覚が戻りはじめると、足の激しい痛みが襲ってきた。その時まで、彼女は怖くて怪我を見ることもできなかった。やっと足に目をやったとたん、彼女は吐き気を覚えた。深い切り傷から魚肉のような白い肉が見え、はじけそうに腫れていた。動脈から血が泡をたてて溢れ、床に流れ落ちていた。 「ひどいわね」老婦人が暖炉のそばに戻ってきて言った。「痛いでしょう、かわいそうに。昔の回復呪文を覚えていてよかったわ」 ラムクは床に座り、傷の両側に手を置いた。ジャイナは焼けるような痛みを感じたが、痛みはすぐに軽くなり、ちくちくする感覚だけが残った。彼女が傷のほうを見ると、ラムクが傷の両側に置いたしわだらけの手を互いに近づけているところだった。手が近づくにつれて、ジャイナの目の前で傷が治り始めた。肉が互いにくっつき、腫れが引きはじめたのだ。 「優しいキナレス」ジャイナは息をのんだ。「あなたはいなければ死ぬところでした」 「それだけじゃないわ、きれいな足に傷が残らないようにしておきましたよ」ラムクは笑った。「ジリア様が小さかったころ、よくこの呪文を使ったものですよ。私はあの方のお世話係でしたから」 「そうでしたね」ジャイナはほほえんだ。「でも、ずっと昔でしょう。よく呪文を覚えてらっしゃいますね」 「何かを覚えようとおもったら、たくさん勉強して失敗を重ねないといけないものでしょう、回復の分野でも何でもね。でも、私ぐらい歳をとれば、思い出さなくてもよくなるの。知識が自分のものになるのね。それに、この呪文は本当に何千回も唱えたんですよ。小さいころのジリア様とタララ王女ときたら、いつも切り傷やあざを作っておいででしたから。王宮の登れるところにはどこでも登っておしまいになるんですから、当たり前ですよね」 ジャイナはため息をついた。「ジリア様をとてもかわいがっておられたんですね」 「今でもですよ」ラムクはにっこり笑った。「でも今はもうあの方も大きくなられて、あのころとは違います。ああ、そういえば、さっきはびしょ濡れだったからわかりませんでしたけど、あなたはあの方によく似ていますね。フェスティバルでお会いしたときに言ったかしら?」 「ええ」と、ジャイナは言った。「というより、タララ王女に似ているとお思いになったのでは?」 「ああ、あなたがタララ王女で、ここへお戻りになったのだとしたらどんなに素晴らしいでしょう」ラムクは声をつまらせた。「前の王家の人々がみんな殺されて、皆タララ王女も殺されたに違いないと言っていました。でも遺体は見つからなかったんです。一番の犠牲者はジリア様でしたよ。ひどくお心を痛められて、しばらくのあいだ、正気まで失っておられるようでしたもの」 「どういうことですか?」と、ジャイナはたずねた。「何があったのですか?」 「よそから来た方にお話していいことかどうか。でもカムローンでは皆が知っていることですし、あなたは他人のような気がしませんし… 」ラムクはしばらく迷い、やがて話しはじめた。「ジリア様は目の前で暗殺をご覧になったんです。私が見つけたとき、あの方は血の海になった王の間に隠れて、まるで壊れた人形のようなご様子でした。なにもお話にならず、なにも召し上がりませんでした。私は回復の呪文を唱えましたが、私の力ではあの方のお心を治すことができませんでした。膝の擦り傷とはわけが違ったのです。当時オロインの公爵であられたお父様は、ジリア様を田舎の療養所へ送ってそこで過ごさせることになさいました」 「かわいそうに」ジャイナは涙を流した。 「ジリア様がもとのジリア様に戻るまで、何年もかかりました」ラムクはうなずきながら続けた。「しかしジリア様は、完全にはお治りにならなかったんです。お父様が王になられたとき、ジリア様を王位継承者になさらなかったのは、まだジリア様が完治されていないとお考えになったからです。ある意味、それは正しかったのです。ジリア様はまだ何も思い出せておられませんから」 「もしも──」ジャイナは注意ぶかく言葉を選んで言った。「いとこのタララ王女が生きているとわかったら、ジリア様はよくなるでしょうか?」 ラムクは少し考え、答えた。「そうでしょうね。でも、タララ王女はきっとお亡くなりになったのでしょう。夢みたいなことを望むのはよくありません」 ジャイナは立ち上がった。彼女の足は、まるで怪我などしていなかったかのようだった。彼女の服はすでに乾いており、ラムクが外は夜で寒いからと言ってマントをくれた。扉を出るとき、ジャイナは老婦人の頬にキスをして感謝した。回復の呪文とマントだけではなく、彼女が今までにしてくれた全てのことに対する感謝だった。 屋敷の近くの道は南北に伸びていた。左に行けばカムローンだ。そこにある謎の鍵を握るのは、ジャイナただ一人だった。右へ行けば南のダガーフォール、彼女が20年以上住んでいる町だった。その町の通りにある彼女の店へ戻るのは簡単だったが、少し悩んだあと、彼女は心を決めた。 それほど歩かないうちに、3頭の帝都の紋章のついた馬に引かれた黒い馬車と8頭の騎馬が彼女を追い抜いて行った。前方の森の中の小道に差しかかる前に、彼らは急に馬を止めた。ジャイナは、馬に乗った兵士の一人がストレイル卿の家来のノルブースだと気付いた。馬車の扉が開き、皇帝の大使ストレイル卿その人が降りてきた。彼が、ジャイナと他の女たちを王宮の踊り子として雇った人物だった。 「おまえは!」と、ストレイル卿は不機嫌に言った。「私が雇った娼婦だな? 花祭りの最中にいなくなっただろう? ジャイナ、そうだな?」 「その通りです」ジャイナは苦笑いした。「ただ、私の名前はジャイナではありませんでした」 「そんなことはどうでもいい」と、ストレイル卿は言った。「この南の道で何をしているんだ? 王宮の皆を喜ばせるためにお前に金を払ったんだぞ」 「私がカムローンに戻ったら、喜ばない人がたくさんいますよ」 「どういうことだ」と、ストレイル卿はたずねた。 そして彼女はどういうことか説明し、ストレイル卿は耳を傾けた。 物語(歴史小説) 緑2 タララ王女の謎 第3巻 メラ・リキス 著 カムローンで行きつけの酒場「ブレイキング・ブランチ亭」を出た直後、ノルブースは彼の名を呼ばれたが、その名は聞き違える類のものではなかった。見まわすと、城付魔闘士のエリル卿が路地の闇から姿を現した。 「エリル様……」と、ノルブースは恭しく微笑んで言った。 「今宵、おまえが出歩いているのを見かけるとは驚いたぞ、ノルブース」と、エリル卿は歪んだ笑みを浮かべて言った。「千年記念の祭り以来、おまえとおまえの御主人殿を見かけることはほとんどなかったが、多忙だったと聞いてはいる。私が聞きたいのは、多忙であった理由だ」 「カムローンでの帝都の利権を守るのは忙しい仕事にございます。大使の細かな時ごときの些事が、エリル様のご興味にかなうとは思えません」 「それが、かなうのだよ」と魔闘士が答えた。「大使殿が最近非常に奇妙な、配慮を欠いた言動をされているのでなおさらなのだ。しかも、花の祭典の娼婦の一人を家に招き入れたそうではないか。名をジーナといったかな?」 ノルブースは肩をすくめて言った。「親方様は恋をされているのかとお見受け致しますが。恋が男に非常に奇妙な言動をさせることは、勿論ご存じであろうかと」 「確かに美しい女ではあるな」エリル卿は笑った。「亡きタララ王女によく似ていると思わぬか?」 「カムローンには僅か十五年しかおりませんので、王女様の生前のお姿は拝見しておりません」 「詩吟でも詠み始めたというならわからんでもないが、宮殿の厨房で年老いた召使いと話して暮らすのが恋だというのか? 私の限られた経験からも、それが身を溶かすような熱愛の現れであるとは思えんがな」と、エリル卿は呆れたように言った。「それに、大使殿は一体あそこに何の用で… あの村の名前が思い出せんが」 「アンビントンでしょうか?」ノルブースは答えたが、直後に後悔した。エリル卿はそのような気配は微塵も見せてはいなかったが、ノルブースは城付魔闘士がストレイル卿が帝都を離れていることを知らなかったのだろうと、直感的に察した。この場を離れて大使殿に報せる必要があったが、焦りは禁物であった。「現地に移動されるのは明日のはずです。確か、帝都の承認が必要な証文に印を押すだけの用件だったかと」 「それだけなのか? 実に退屈な用事だな。それならお帰りになった時にお会いするとしよう」と、エリル卿は会釈をして言った。「詳しく聞かせてもらえて助かったよ。失礼する」 城付魔闘士が角を曲がった直後、ノルブースは愛馬に飛び乗っていた。一、二杯ほど飲み過ぎてはいたが、エリル卿の暗殺者より先にアンビントンに辿り着かなければならないのは明白であった。彼は道路沿いに進めば主人に追いつけるよう祈りつつ、帝都を出て東へと馬を走らせた。 カビと酸っぱくなったビールの臭いがする酒場の座席で、ストレイル卿は帝都の密偵であるブリシエンナ夫人の、密談をする際に多数の人間が集まる場を選ぶという手法に感心していた。アンビントンでは収穫期に入っており、畑仕事を手伝う労働者たちは僅かな給料を酒代に馬鹿騒ぎしつつあった。卿はその場に合わせ、粗い作りのズボンと質素な平民の上衣を着ていたが、それでも人目を引いている気がしてならなかった。連れである二人の女性に比べれば、確かにその通りであった。彼の右手に座る女性はダガーフォールの卑しい界隈に一介の娼婦として出入りするのに慣れていたし、左手に座るブリシエンナ夫人はそれをさらに上回る場慣れぶりであった。 「何とお呼びすべきでしょうか?」と、ブリシエンナ夫人が心配そうに聞いた。 「ジーナと呼ばれるのに慣れていますが、それも変えないといけないかもしれませんね」と、その女性は答えた。「もちろん、そのまま変わらないかもしれないけれど。墓石には娼婦のジーナと書かれるのかもね」 「花の祭典のようにあなたが襲われることのないよう、手を打ちます」と、ストレイル卿が眉をしかめて言った。「ですが皇帝の御助力無しでは、いつまでお守りできるかわかりません。唯一の抜本的な解決法は、あなたを狙っている者共を捕らえ、あなたにも相応の地位についていただくことです」 「私の話を信じていただけるのでしょうか?」ジーナはブリシエンナ夫人の方に向き直った。 「私はもう何年も、皇帝陛下のハイ・ロックでの密偵長を務めてきましたが、これほど奇妙な話を聞くことは稀です。もし大使殿の調査であのような事実が判明していなければ、すぐにあなたが正気を失っているのだと決めつけたでしょう」ブリシエンナ夫人は笑い、ジーナもこれに合わせて微笑んだ。「ですが、今は信じています。正気を失っているのは私なのかもしれませんが」 「御助力いただけるのですかな?」と、ストレイル卿が短く尋ねた。 「地方領に干渉するというのは難しい仕事なのです」と、ブリシエンナ夫人は手元の杯を覗き込みながら言った。「帝都そのものに対する脅威が存在しない限り、関与しないのが無難と考えています。この一件はすなわち、20年前に起きた非常に厄介な暗殺と、その余波なのです。皇帝陛下が諸領の世継ぎ問題全てに関与されてしまっては、タムリエル全体のために何もできなくなってしまうでしょう」 「わかります」と、ジーナはつぶやいた。「自分の正体と境遇を含め、全てを思い出した時、私は何もしないと決意しました。実のところ、カムローンを離れて故郷のダガーフォールに戻ろうとしていたところでストレイル卿と再会したのです。この一件を解決しようと行動を開始したのは、私ではなく彼なのです。卿に連れられて来た時、従妹に会って私が誰であるのか話したかったのですが、卿に禁じられました」 「それは危険過ぎるでしょう」ストレイル卿がうなった。「陰謀がどれほど深いものなのかをわかっていない。永遠に判明しないのかもしれん」 「申し訳ありません、短い質問に長い説明を返してしまう悪い癖がありまして。ストレイル卿に助力いただけるのか、と問われた時、最初に「はい」とお返事すべきでした」ブリシエンナ夫人はストレイルおよびジーナの表情の変わりように笑いをこぼした。「勿論お力になります。ですが、事態を良い方に向かわせるには、皇帝陛下の命のもとで二点、お願いしたいことがあります。一点目は、あなた方が暴いた陰謀の黒幕が何者であるのかを、絶対確実に証明していただきたいのです。誰かに自白をさせる必要があるわけです」 「二点目は……」ストレイル卿がうなずきながら言った。「この一件が地元の些事などではなく、皇帝陛下にご配慮いだたくにふさわしい問題であることを証明することだ」 ストレイル卿、ブリシエンナ夫人そしてジーナと名乗った女性は、その後数時間かけて目的の達成方法を話し合った。とるべき行動が決まると、ブリシエンナ夫人は仲間の一人であるプロセッカスを探しに席を立ち、ストレイル卿とジーナは西にあるカムローンに向けて出発した。森の中に入って間もなくして、遥か前方から疾走する馬の蹄の音が聞こえてきた。ストレイル卿は剣を抜き、ジーナに合図をして馬を自分の後方に配置するよう合図を送った。 その直後、敵が四方八方から襲いかかってきた。斧を持った男が8人潜んでいて、奇襲をしかけてきたのである。 ストレイル卿は素早くジーナを引き寄せ、自分のすぐ後ろへと移乗させた。そして手馴れた様子で、両手で短く模様を描いた。二人の周囲に火炎の輪が現れて外側へと広がり、暗殺者たちに命中した。男たちは悲鳴を上げて膝をつき、ストレイル卿は最も近くにいた敵を馬ごと飛び越えて全速力で西へ向かった。 「ただの大使様じゃなく、魔術師だったなんて!」ジーナは笑った。 「これで交渉が望ましい局面もあると、今でも信じていますよ」と、ストレイル卿が返した。 先ほど遠方に聞こえていた馬とその乗り手に道路上で遭遇してみると、相手はノルブースだった。「御主人様、城付魔闘士です! あなた方がアンビントンにいらっしゃることを知られてしまいました!」 「それも容易くな」エリル卿の声が森の中から鳴り響いた。ノルブース、ジーナそしてストレイル卿の三人は暗い木々の合間を見まわしたが、人影は見当たらなかった。魔闘士の声はそこら中から聞こえるものの、その出どころを特定することはできなかった。 「申し訳ございません、御主人様」ノルブースがうめいた。「できるだけ速くお報せにあがったのですが……」 「来世では飲んだくれに計画を知らせないよう、おぼえておくがいいさ!」エリル卿は笑った。そして三人に狙いを定め、呪文を放った。 指先から出た火球の光に照らされた魔闘士の姿を最初に見つけたのはノルブースであった。エリル卿は後に、あの愚か者は何をしようとしていたのだろうか、と自問することになる。ストレイル卿を火球の通り道から引っ張り出そうと突進したのか。あるいは破滅を免れようとしつつも、右へ避けるべきところで左へ避けただけなのか。それとも、可能性は低そうであったが、主人を救うために身を投げ出したのか。理由はどうあれ、結果は変わらなかった。 彼は火球の通り道にいたのである。 巨大な力の爆発が夜の森を明るく照らし、強烈な反響音が周囲一マイル以内の気を揺らし、そこにとまっていた鳥を揺さぶり落とした。ノルブースとその馬が立っていた地点には、黒ずんだ草のみが残されていた。蒸発どころではすまなかったのだ。ジーナとストレイル卿は爆圧で後方に投げ出され、乗っていた馬は我に返ると一目散にその場から走り去ってしまった。呪文の爆発の残光の中で、ストレイル卿は森の中の一点を凝視していた。驚いた表情の城付闘士と目を合わせていたのだ。 「くそっ」エリル卿はそう漏らすと走り出した。大使も跳ね起きてその後を追った。 「たとえ貴様とはいえ、今の呪文はマジカを大量に消耗しただろう」と、ストレイル卿は走りながら言った。「遠射呪文を放つ場合、目標が遮蔽されないことを確かめることくらい、貴様なら知っているはずだろう?」 「まさかあのうすのろが……」エリル卿は背後から殴りつけられ、言い終わる前に湿った森の地面に転がった。 「まさかではすまないのだよ」ストレイル卿は落ち着いた口調で言い、魔闘士を仰向けに引っくり返し、自分の両膝でその両膝を地面に抑えつけた。「私は魔闘士ではないが、もてる力の全てを貴様の仕組んだ不意打ち相手に使うべきではないことくらいわかっていた。もしかすると考え方の差かもしれんがな。国の遣いとして、私は浪費を好まないのだ」 「何をするつもりだ?」と、エリル卿が情けない声で聞いた。 「ノルブースは指折りのいい部下だった。貴様には苦痛を味わってもらう」大使が僅かに体を動かすと、その両手が眩く輝き始めた。「それだけは確かだ。その後でどれだけ貴様を痛めつけるかは、貴様がこれから喋る内容による。先のオロイン公爵について聞かせてもらおうか」 「何を話せばいい?」エリル卿が絶叫した。 「ひとまず洗いざらい吐け」。ストレイル卿は落ち着きはらった様子で返した。 物語(歴史小説) 緑2 タララ王女の謎 第4巻 メラ・リキス 著 ジーナが皇帝の密偵、ブリシエンナ夫人に会うことは二度となかったが、彼女は約束を守った。帝都に仕える処刑人、プロセッカスは、ストレイル卿の屋敷に変装してやってきた。ジーナは有能だった。数日もあれば知るべきことは学べてしまいそうだった。 「こいつは単純な魅了の呪文でして、激怒したデイドロスを恋にのぼせた子犬に変えてしまう、ということはありません」と、プロセッカスは言った。「相手を怒らせるようなことを実行するか、そういったことを口にすれば、効果が弱まるでしょう。ちょうど幻惑の流派の呪文のように、あなたに対する相手の認識を一時的にゆがめますが、敬意や憧憬の念を抱かせようとしたら、もう少しマジカ性の弱い魅了を使って対処しなければならないのです」 「わかったわ」ジーナは微笑むと、ふたつの幻惑の呪文を教授してくれて師に感謝した。身につけたばかりのスキルを実践するときがやってきた。 カムローンにある娼婦のギルド屋敷は立派な宮殿で、裕福な街の北部地区にあった。サイロン王子は目隠ししていようが、いつものように泥酔していようが、そこまでたどりつけた。が、今夜の王子はほろ酔いといったところで、これ以上は一滴も飲まないと決めていた。今夜は楽しみたい気分だった。彼らしいやり方で。 「私のお気に入りはどこだね、グリジア?」彼は入ってくるなり、ギルドの女将に申しつけた。 「あの娘は先週のご指名で負った傷がまだ癒えておりませんのよ」と、女将は穏やかに言った。「他の娘はみな出払っておりますわ。けれど、あなたのためにとっておきの娘を残しておきましたの。新人ですけど、きっとお楽しみいただけますわ」 王子が案内されたのはビロードとシルクでぜいたくに装飾された特別室だった。王子が入ってくるのをみて、ジーナはついたての陰から歩み出ると、素早く呪文をとなえた。プロセッカスに教わったように、おおらかな心で信じながら。最初は魔法が効いているのかどうかなんとも言えなかった。王子は残忍な笑みを浮かべてジーナを見ていたが、雲間から太陽がのぞくように、残虐性がさっと晴れた。王子はジーナの手中にあった。彼女に名前を訊いてきた。 「名前と名前の板ばさみになっておりますの」ジーナはからかった。「本物の王子様と愛し合ったことなんてございませんわ。王宮に入ったことすらありませんの。さぞかし…… ご立派なんでしょうね」 「まだ私のものではない」王子は肩をすくめた。「が、いつかきっと王になる」 「あんな王宮で暮らせたら素敵でしょうね」と、ジーナは甘えた声で言った。「一千年の歴史。見るものすべてが古めかしくて美しい。絵画、書物、彫像、タペストリー。皇室の方々は過去の財宝をみんな手放さずに持っておりますの?」 「ああ。くだらないがらくたと一緒に宝物庫の資料室にしまってある。そろそろ、おまえの裸を見せておくれ」 「まずはおしゃべりを楽しんでから。王子様がお脱ぎになりたいとおっしゃるなら、どうぞご自由に」ジーナは言った。「資料室があるとは聞いておりましたけど、巧みに隠されているとか」 「皇族の墓所の裏手にまやかしの壁がある」と、王子は言った。彼女の手首をつかんで引き寄せると、彼女の唇を奪った。と、その目つきが変わった。 「腕が痛みますわ」と、ジーナは叫んだ。 「おしゃべりはおしまいだ、妖艶な売春婦め」王子は怒鳴った。鋭い恐怖心を押さえつけながら、ジーナはつとめて冷静であろうとし、知覚イメージが流れるにまかせた。王子の怒れる口が彼女の唇に触れると、ジーナは幻惑の師から学んだふたつめの呪文をとなえた。 王子は肉体が石と化したのを感じた。その場に凍りついたまま、ジーナが乱れた服装を直して部屋から出ていくのを見ていた。麻痺状態はあと数分しか続かないが、ジーナにとってはそれだけで充分だった。 ジーナとストレイル卿の指示どおり、ギルドの女将はすでに娼婦たちを連れて逃げていた。事態が沈静化すれば、戻ってくるようにとの連絡が彼らから入ることになっていた。この計略の一端を担ってくれたにもかかわらず、女将は一銭も受け取ろうとしなかった。娼婦たちはあの残虐な変態王子に二度と拷問されないですむなら、それだけで充分だからと。 「とんでもない坊やね」法衣の頭巾を上げながら、ジーナは思った。ストレイル卿の屋敷に向かって通りを突っ走っていた。「あの坊やが王になることがなくてよかったわ」 翌朝、カムローンの王と王妃はいつものごとく貴族やら外交官やらと接見していた。人の集まりが悪く、謁見室はがらがらだった。一日を始めるやり方としてはあまりに気だるかった。ひとつの陳述が終わると、いかにも王らしいあくびをした。 「肝心な人たちはどうしてしまったの?」王妃がつぶやいた。「私たちの大切な坊やは?」 「北区のあたりで荒れに荒れているらしい。娼婦に騙されてあとを追ってるようだな」王は愛のある含み笑いをもらした。「なんともできのいい息子だわい」 「それなら、あなたの魔闘士は?」 「きわめて難しい任務にあたらせている」王は眉を寄せた。「が、かれこれ一週間になるし、まるで音沙汰がない。穏やかではないな」 「もちろんだわ。エリル卿をそんなに長い間遠ざけておくべきじゃないもの」王妃は顔をしかめた。「危険な妖術師が私たちを脅してきたらどうするの? あなたは笑うかもしれないけれど、ハイ・ロックの王族が魔術師の家臣をいつも傍らに待機させているのはそのためでしょう。邪悪な付呪から王宮を守るためだわ。こないだだって、哀れな皇帝が付呪に苦しめられたじゃないの」 「側近の魔闘士の手でな」王はくすくすと笑った。 「エリル卿はあんなふうにあなたを裏切ったりはしないわ。わかってるでしょう。あなたがオロインの公爵だった時代から仕えてきてるのよ。エリル卿とジャガル・サルンをそうやって比較するなんて、まったく…」王妃ははねつけるように手を振った。「タムリエル各地の王国をむしばんでいるのは、その類の信頼感の欠如なの。ストレイル卿なら──」 「そういえば彼も行方不明になっているな」王は沈思黙考した。 「大使のこと?」王妃はかぶりを振った。「いいえ、ここにいるわよ。どうしても墓所を訪れてあなたの高貴なる祖先に敬意をささげたいって言うから、場所を教えてあげたわ。おかしいくらい時間がかかってるけど、それだけ敬虔だってことかしらね」 王妃は驚いた。王が立ち上がったのだ。その顔に危機感を浮かべて。「どうして黙ってたんだ?」 王妃が答えようとするまでもなく、話題の主が開け放たれた扉から謁見室に入ってきた。一流貴族が着るような緋色と金色の壮麗なガウンをまとった金髪の女性をその腕に従えて。王妃は、あ然としている夫の視線を追っていき、同じようにあ然とした。 「大使は『花祭り』の娼婦の一人にご執心だったと思ったけど、淑女ではなくて」と、王妃はささやいた。「しかも、あなたの娘にそっくりだわ、ジリア夫人に」 「ああ、瓜二つだ」王は息をのんだ。「ジリアのいとこのタララ姫だ」 謁見室の貴族たちはこそこそと話をしていた。姫が失踪したのは20年前で、王族の他のメンバー同様に殺されたというのが大方の見方だった。その当時から王宮で働いていたものは少なかったが、何人かの古参の政治家がはっきりと覚えていた。玉座の上に限らず、「タララ」という言葉が付呪のように空気中を伝播していた。 「ストレイル卿、そちらのご淑女を紹介していただけませんか?」王妃は丁寧な笑みを浮かべて訊いた。 「しばしお待ちを、王妃様。まずは、火急の件を論じなければなりませんので」ストレイル卿は頭を下げた。「できれば内密に行いたいのですが」 王は帝都の大使をじっと見て、表情から真意を読み取ろうとした。手を振りかざして貴族たちを退出させ、扉を閉じさせた。謁見室に残されたのは王、王妃、大使、数名の近衛兵、それと謎の女性だった。 大使がポケットから一枚の黄ばんだ羊皮紙を取り出した。「王様、兄上とご家族が殺されてあなたが戴冠されたとき、当然のことですが、証文や遺言のような重要書類はすべて、書記官や大臣の管理のもとで保管されました。亡き王の副次的な重要ではない私的文書については、慣習にのっとって、資料室に送られました。この手紙はその中から見つかったものです」 「いったいどういうことなのかね?」と、王は大声で言った。「手紙には何と?」 「王様のことではありません。実際のところ、王様が戴冠なさった時点では、誰かが手紙を読んだところでその意義が理解できなかったでしょうな。手紙はあなたの兄上である亡き王が皇帝に宛てたもので、暗殺の直前に書かれました。ここカムローンのセシエテ神殿にかつて魔術師および僧侶として仕えていた、義賊についての手紙です。その義賊の名は、ジャガル・サルン」 「ジャガル・サルン?」王妃はそわそわしながら笑った。「あらあら、ちょうどサーンのことを話してたのよ」 「サーンは、強力な呪文や忘れられし呪文に関する書物を何冊も盗み出しました。それから、混沌の杖のような秘宝にまつわる伝承も。杖の隠し場所や使い方を知るために。情報はゆっくりと西方のハイ・ロックまでやってきます。皇帝の新たな魔闘士の名がジャガル・サルンだという情報が亡き王の耳に入る頃には、もう何年も過ぎていました。亡き王は手紙をしたためて、背徳の魔闘士について皇帝に警告しようとしました。が、手紙が完結することはなかったのです」ストレイル卿は手紙を高く掲げた。「手紙の日付は385年の、王が暗殺された日です。ジャガル・サルンが皇帝を裏切って『虚構帝都』による10年間の暴政を開始する4年前のことです」 「じつに興味深い話だが」王は吠えるように言った。「私と何の関係があるのだ?」 「帝都は現在、亡き王の暗殺にただならぬ関心を寄せています。そして、あなたの忠実なる魔闘士、エリル卿から自白を取らせていただきました」 王は顔色を失った。「このみすぼらしい虫けらめ、何人たりとも私を脅せるものか。おまえも、その娼婦も、その手紙も、もう二度と陽光をおがむことはあるまい。衛兵!」 近衛兵が剣を抜き放ち、つめ寄ってきた。と、いきなり光がきらめき、プロセッカス率いる帝都の処刑人たちがわらわらとわいてきた。彼らは何時間も部屋に潜んでいたのだ。誰にも気づかれないように影の中で息を殺して。 「帝都の偉大なる太陽、ユリエル・セプティム七世の名において、あなたを逮捕します」と、ストレイルは言った。 扉が開かれ、うなだれた王と王妃が連れ出された。ふたりの息子であるサイロン王子が寄りつきそうな場所を、ジーナはプロセッカスに教えた。謁見室にいた廷臣や貴族は、彼らの王と王妃が奇妙なほど厳粛に王立刑務所へと行進していくさまをながめていた。口を開くものはいなかった。 とうとう声が上がったとき、誰もが仰天した。ジリア夫人が王宮に到着したのだ。「どういうことなの? 王と王妃の権威を奪ったりして、一体どういうつもりなの?」 ストレイル卿はプロセッカスのほうを向いた。「われらとジリア夫人だけで話をしたほうがいい。なすべきことはわかっているな?」 プロセッカスはうなずくと、謁見室への扉をまたもや閉めた。廷臣たちは木の扉に体を押しつけ、ひと言たりとも聞き逃さないよう耳をそばだてた。黙ってはいたが、彼らもまた、ジリア夫人と変わらぬくらい事情を知りたがっていたのだ。 物語(歴史小説) 緑2 タララ王女の謎 第5巻 メラ・リキス 著 「何の権利を持って父を拘束するのですか?」ジリア夫人は叫んだ。「彼が何をしたと言うの?」 「私はインペリアル司令官、および大使として、カムローンの王者、オロインの元デュークを拘束する」ストレイク卿は言った。「地方の貴族権限のすべてに優先するタムリエルの皇帝の秩序権限に基づいて」 ジーナは前に進みジリアの腕に手を添えようと試みたが、冷たく突き返された。彼女は、今は誰もいない謁見室の玉座の前に、静かに座り込んだ。 「完全に記憶を取り戻したこの若い女性が私のもとを訪れてきたのだが、彼女の話は信じ難いを超越していた、単純に信じられなかったのだ」と、ストレイク卿は話した。「しかし、彼女は確信していたので、私も調査してみるしかなかった。その話に多少なりとも真実性があるか、20年前、この王宮にいた全員と話した。当然、王者と女王が殺害され、王女が失そうしたときは完全な取り調べが行われたが、今回は違う質問があった。その質問とは、2人の従姉妹、ジリア・レイズ夫人と王女の関係だ」 「何度も何度もみんなに言いました、人生で、あの時期だけ何も覚えていないのです」と、涙を浮かべながらジリアは言った。 「それは分かっている。あなたが恐ろしい凶行を目撃し、あなたと彼女の記憶が消えたことは一度も疑ったことがないし」ストレイル卿はジーナを手招きしながら言った。「疑う余地もない。王宮の召使いや他の人たちから、少女たちは密接な間柄だったと聞いた。他に遊ぶ友達もいなく、王女は常に親のそばに居なければいけなかったので、幼い頃のジリア夫人もそのすぐそばにいた。暗殺者が王族を殺しに来たとき、王者と女王は寝室に、そして少女らは謁見室にいた」 「記憶が戻ったときは、まるで封印された箱を開けたようだったわ」と、ジーナは厳かに言った。「20年前ではなく、昨日起きた出来事のようにすべてが鮮明で詳細だったの。私は玉座に座って女帝を演じていて、あなたは演壇の裏に隠れて、私があなたを投獄した地下牢に入れられているフリをしていたの。血まみれの刀をもった知らない男が、部屋に王の寝室から飛び込んできたわ。私に向かってきたから必死で逃げたの。演壇に向かって走り始めたのを覚えているけど、あなたの恐怖で凍りついた顔が見えて、彼をあなたに導きたくなかったわ。だから、窓に向かって走ったの」 「前、一緒にふざけて城壁を登ったことがあったわね、あの崖にしがみついている姿が、一番初めに戻ってきた記憶だったわ。あなたと私が城壁に登って、下から王が降り方を言ってくれたわね。でも、あの日は、あまりにも震えていて、つかまっていられなかったの。私は落ちて、川に着水したの」 「目撃した恐怖のせいか、それとも落下した衝撃と水の冷たさが折り重なってかは分からないけど、頭の中が真っ白になったの。かなり離れた場所でようやく川から自分を引っ張り出したとき、自分が誰だか分からなかったわ。それがそのまま続いたの」ジーナは笑った。「今まではね」 「では、あなたがタララ王女なのですか?」と、ジリアは叫んだ。 「私が混乱したように、単に結果だけを言ってしまうとあなたも混乱してしまうので、その問いに彼女が答える前に、もうちょっと私に説明をさせてもらおう」ストレイル卿が言った。「暗殺者は王宮から逃げられる前に捕まった── 実のところ、捕まると分かっていたはずだ。彼は即座に王族を殺害したことを認めた。彼が言うに、王女は窓から投げ出して殺したと。下に居た召使いが悲鳴を聞き、何かが窓の前を飛び落ちていくのを見ているので、彼はそれが事実であると知っていた」 「子守り役のラムクによって演壇の裏に隠れていた幼いジリア夫人が、恐怖で震えながら喋れずに、誇りまみれで発見されるまで数時間かかった。ラムクはとてもあなたのことを注意深く守っていた」ストラルはジリアに向かってうなずきながら語った。「彼女は、即刻あなたを部屋へ連れて行くよう主張して、オロインのデュークへ、王族が殺害され、彼の娘が殺人を目撃したが生き延びたとの伝言を走らせた」 「そのことは、少しだけ思い出してきました」と、不思議そうにジリアは言った。「ラムクに慰められながらベッドで横になっていたのを覚えています。すごく混乱していて、集中できなかったのです。なぜかは分かりませんが、ずっとお遊びの時間であって欲しいと思っていたのを覚えています。そして、荷物をまとめられて、養育院へ連れられて行かれたのを覚えています」 「もうすぐすべて思い出すわ」ジーナは微笑んだ。「保証するわ。それが思い出し始めた方法よ。一つだけ詳細を掴んだら、すべてが流れこんできたの」 「それです」ジリアは失意で泣きだした。「混乱以外の何も覚えていません。いえ、連れ去られるとき、父が私のことを見てもくれなかったことも覚えています。そして、そのことも、他のことも気にしていなかったことを覚えています」 「皆にとって混迷期だった、特に少女たちにとっては。とりわけ、あなたたち二人が体験したような羽目にあった少女たちには……」と、同情してストレイル卿は言った。「私の理解では、ラムクからの伝言を聞いたデュークは、オロインの王宮を後にして、あなたがこの出来事から回復するまで私設療養所へ送るよう命じ、情報を引き出すために、私設衛兵とともに暗殺者の拷問に着手した。最初の自白をしたとき以降、デュークと私設衛兵以外は暗殺者を見ていなく、暗殺者が脱走しようとして殺されたとき、デュークと彼の衛兵以外誰も居なかったということを初めて聞いたとき、私はそれを重要視した」 「その場に居たことが分かっていたうちの一人、エリル卿と話をしたが、手にしている以上の証拠品を持っているように見せかけ、脅さなければならなかった。危険な作戦ではあったが、願っていたような反応が得られた。とうとう彼は、私が真実であると分かっていたことを自供した」 「暗殺者は……」ストレイル卿は中断し、そして仕方なくジリアの目を見て言った。「相続人の王女も含めて、王族を殺害するために、オロインのデュークによって雇われていたのだ。彼や子供たちに王冠が渡るように」 ジリアは驚き、ストレイル卿を見つめた。「私の父が──」 「暗殺者は、デュークが彼を拘留したら、すぐに報酬が支払われ、脱獄が準備されると言われていた。だが、この悪党は欲を出す場所を間違えて、ゴールドをもっと手に入れようとした。デュークは沈黙させてしまうほうが安上がりだと判断し、彼が事の真相を誰にも話せないように、その場で即刻殺してしまった」ストレイル卿は肩をすくめた。「たいした損失ではないな。それから数年後、幼児期の記憶が完全に欠如していることを除けば、少々動揺してはいるものの、普通に戻ったあなたが療養所から戻った。そしてその間に、オロインの元デュークは兄の変わりにカムローンの王者となっていた。容易くできたことではない」 「ええ」と、ジリアは静かに言った。「もの凄く忙しかったのだと思います。彼は再婚して、もう1人子供がいました。ラムク以外は誰も療養所へ見舞いにきませんでした」 「もし彼が見舞いにいって、あなたを見ていたら……」と、ジーナが言った。「この話はまったく違う展開になっていたかもね」 「どういう意味ですか?」と、ジリアは問いかけた。 「ここが一番驚くべきところだ」と、ストレイル卿が言った。「以前から、ジーナがタララ王女なのかどうかが問われていた。彼女の記憶が戻り、覚えていることを私に話してくれたとき、私はいくつかの証拠をつなぎ合わせた。これらの事実を考えてみよう」 「まったく違う人生を歩んできたあなたたち2人は20年後の今も著しく似ているし、変わらぬ遊び友達、そして少女だったあなたたちは瓜二つだった」 「暗殺のとき、そこに行ったことがなかった暗殺者は、玉座の上に1人の少女しか見ておらず、彼はその子を獲物と思いこんだ」 「ジリア夫人を見つけだしたのは不安定な精神の持ち主で、自分の役目に狂信的な愛着をもっていた子守り役のラムクだった── その種の人は、自分が愛してやまない少女が、行方不明になったほうかもしれないという可能性を絶対に受けいれない。子守り役はあなたを療養所で見舞った、タララ王女とジリア夫人の2人を知る唯一の人物だった」 「最後に」と、ストレイル卿は言い放った。「あなたが宮廷に戻ったとき、5年間がすぎていて、あなたは子供から若い女性へと育っていた事実を考えてもらおう。見覚えはあるが、あなたの家族が覚えているあなたとは完全に一致しない、もっともなことではある」 「理解できません」可哀想な女性は目を見開いて叫んだ。だが、理解できていた。彼女の記憶はひどい洪水のように流れ、集まっていた。 「こう説明するわ……」彼女の従姉妹は腕で包みながら言った。「今は自分が誰なのかわかるわ。私の本名はジリア・レイズ。拘束された男は私の父親、王者を殺した男── あなたの父を。あなたがタララ王女なのよ」 物語(歴史小説) 赤3
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妖精族 第1巻 ウォーヒン・ジャース 著 その偉大な賢者は背が高く、不精な感じの男で、髭をたくわえており、頭ははげていた。彼の所蔵の本も持ち主に似て、どの本も長い間にホコリをかぶり、本棚の奥へと突っ込まれていた。最近の授業で、彼はその中の数冊を用いて、ヴァヌス・ガレリオンがどのようにして魔術師ギルドを設立するに至ったかを学生のタクシムとヴォングルダクに説明していた。2人はサイジック教団でのガレリオンの修行時代について、またそこで行われた魔術の研究と魔術師ギルドのものとはどのように異なるのかなど、たくさんの質問を投げかけた。 「サイジック教団は、今も昔もは非常に組織的な生活様式を持つ機関である」と賢者は説明した。「実際、きわめてエリート主義的である。ガレリオンはその点を批判していた。彼は魔術の研究を自由に解放したかったのだ。まあ、『自由に』とはいかないまでも、少なくとも誰にでも門戸が開かれているようにだ。そのためにまず彼はタムリエルで路線を変更した」 「ガレリオンは現代の薬剤師、道具工、呪術師がみな使用しているような慣習と儀式を体系化したのですよね?」と、ヴォングルダクが尋ねた。 「それは業績の1つに過ぎない。ヴァヌス・ガレリオンは、今日の魔術を作り上げたのだ。彼は一般大衆でも理解できるように、魔術の体系を組み直した。また、彼は錬金術の道具を開発した。誰もが魔法の跳ね返しを恐れずに、どんなものでも、どのような技術でも、懐の許す限り混ぜ合わせることができるようになった。そう、彼は最終的にそういうものを作り上げたのだ」 「どういう意味ですか?」と、タクシムが尋ねた。 「初期の道具は、現在の我々のものよりも自動化されたものだった。どんな素人でも、魔法や錬金術のことを知らなくてもその道具を使うことができた。アルテウム島では、学生は何年にもわたる苦労を重ねて技術を習得しなければならなかったが、ガレリオンはそれがサイジック教団のエリート主義の一例に過ぎないと考えた。当初彼の開発した道具は、いわば機械の付呪師や錬金術師で、金さえ出せば客は望むものを何でも作り出せた」 「例えば、世界を真っ二つに切り裂くような剣も作れますか?」ヴォングルダクが尋ねた。 「理論的には出来るだろうが、それを作るには世界中の金が必要になるだろう」と言って賢者は笑った。「これまでのところ、我々が大変な危機に直面したことはないが、学識のない田舎者が己の理解を超えた物を作り出してしまったという不運な事故は少なからずあった。そういうこともあり、ガレリオンは古い道具を廃棄して、我々が現在使っているようなものを作り上げた。ある意味エリート主義かもしれないが、何かをする前には自分が何をしようとしているのか分かっている必要がある。きわめて当然なことではあるが」 「人々はどんなものを作ったのですか?」と、タクシムが尋ねた。「何かエピソードはありますか?」 「君たちは試験を受けるのが嫌で、話をそらすつもりなんだな」と偉大な賢者は言った。「だが、要点を押さえたちょうどいい話をしよう。サムーセット島の西海岸に在るアリノールの街が舞台の、タウーバッドという書記にまつわる物語だ」 それは第二紀、ヴァヌス・ガレリオンが魔術師ギルドを初めて設立してからまだ間もない頃、その支部がタムリエルの本土にまでは進出まではしていないが、サムーセットの至るところに広がった頃のことであった。 この5年間、書記タウーバッドは、伝令のゴルゴスという少年を通して外の世界に向け文書を送り出す生活を送っていた。隠遁生活だった最初の年には、わずかに残っていた本当に少数の友人や親族── 実際は亡妻の友人や親族であったけれど── が彼を訪ねようとしたが、一番しぶとく粘った身内でさえ諦めてしまった。誰もがタウーバッド・フルジクと交友を続ける理由をたいして持っていなかったので、そのうち、連絡を取ろうとするものはほとんどいなくなった。時々、義理の妹から彼がほとんど覚えていないような人々の近況を綴った手紙が届いていたが、それも極めてまれなことだった。彼の家を往き来する手紙のほとんどは、彼の仕事、つまりオリエル神殿から毎週発刊される公報を書く仕事に関するものであった。公報は神殿の扉に釘で止めて貼り出されるのだが、内容は地域のニュースや説教などであった。 その日、ゴルゴスが持ってきた最初の手紙は治癒師もので、木曜の約束の確認だった。しばらく時間をかけて、彼は浮かない顔つきで了承の返事を書いた。タウーバッドはクリムゾンの疫病を患っており、治療に多額のお金を使っていた。ちなみに、この物語が治癒魔法の流派が高度に専門化する以前の物語であることをお忘れなく。それは恐ろしい病気で、彼は文字通り声を失った。この為、彼のコミュニケーションは筆記によるものに限られていた。 次の手紙は教会の秘書であるアルフィアからだった。彼女の手紙はいつも乱雑な文章で不愉快なものであった。「タウーバッドへ、添付資料は日曜の説教、来週のスケジュール、死亡情報です。少しは『色を付けて』記事を書いてください。前回の分には失望しています」 タウーバッドはアルフィアが神殿に勤め出す前から公報の作成に携わっていたので、彼が心に抱く彼女のイメージは純粋に頭の中だけで作り上げたものであり、それは時間とともに変化していった。最初は、イボだらけの醜く太った雌の醜い魔物の姿をしていた。最近は、痩せ細った行かず後家のオークに変異している。ひょっとしたら、彼の千里眼は当たっていて、ちょうど彼女も体重を落としたところかも知れない。 そもそもアルフィアの外見がどのようなものでも、タウーバッドを見下す態度は明らかだった。彼のユーモアセンスも大嫌いなら、どんなに小さな書き損じも見逃さない。彼の文章と筆跡は素人レベルでも最低であると思っている。幸い神殿の仕事は、善良なるアリノール国王の為の仕事の次に安定していた。稼ぎはたいしたことはないが、タウーバッドはほとんど金を使わなかった。実際のところ金は必要なかった。彼はすでに一財産を築いていたし、日々の生活に働く以外の楽しみはなかったのである。つまり、ほかに時間や思考を費やすところがない彼にとって、その公報の仕事は何よりも大事だった。 すべての手紙を配達し終えたゴルゴスは、掃除を始め、やりながらタウーバッドに街のニュースをすべて伝えた。少年はいつもそうしていて、タウーバッドはいつもあまり聞いていなかったのだが、今日のニュースには興味深いものがあった。魔術師ギルドがアリノールに進出したというものである。 タウーバッドが熱心に耳を傾けるので、ゴルゴスは、ギルドに関する全てを、つまり驚くべき大賢者と、錬金術と付呪用の道具について話した。彼が話を終えると、タウーバッドは簡単なメモを書いて、そのメモと一緒に1本の羽ペンをゴルゴスに渡した。そこには「この羽ペンに魔法を封じてもらってきてくれ」と書いてあった。 「お金がかかりますよ」と、ゴルゴスは言った。 タウーバッドは、長年貯めてきた数千枚のゴールドを彼に渡して送り出した。タウーバッドは、アルフィアを感動させ、オリエル神殿に栄光をもたらす力を手に入れようと決心したのだ。 後に聞くところによれば、ゴルゴスはそのお金を横取りしてアリノールから逃げようとも思ったが、貧しく老いたタウーバッドのことが心配になった。何より、主人からの手紙を届けるために、毎日会わねばならないアルフィアのことが彼も大嫌いだった。良い動機と言えないまでも、ゴルゴスはギルドに赴いて羽ペンに魔法を封じてもらおうと決めた。 最初に話したとおり、その当時は特に、魔術師ギルドはエリート主義の団体ではなかった。だが、ただの伝令の少年が魔導具の製造機を使わせてほしいと頼んだ時は、すくなからず疑いの眼差しを向けられた。しかし袋の中身を見せると、彼らの態度は一変し、ゴルゴスは部屋に招き入れられた。 ところで、私はその古い付呪用の道具を見たことがない。君たちには想像力を働かせてほしい。その道具には、マジカを封入するための大きなプリズムや、一揃いの魂石、エネルギーを封じ込めた球体などがついていた。それ以上は、その外見も効果もよくはわからない。ギルドに渡したゴールドのおかげで、その羽ペンには最高額の魂、つまり妖精族というデイドラの魂を封じられることになった。ギルドの修練僧は、当時の他のメンバーと同様に無知であって、その魂がエネルギーに満ち溢れているという以外には、大した知識はなかった。ゴルゴスが部屋をあとにした時には、その羽ペンには限界かそれ以上の付呪が施され、力で震えているようだった。 もちろん、タウーバッドがその羽ペンを使ってみると、それがどれだけ彼の理解を越えたものであったかが明らかになったのだ。 「それでは…… 試験を始めよう」と、偉大な賢者は言った。 小説・物語 茶2